「天国に一番近い男」と言われた登山家

今年6月、伊豆半島の、とある洞窟。クライマー・山野井泰史は、オーバーハングした壁を相手に1人格闘していた。去年11月にこの洞窟を見つけ、壁に「新たなルート」を引くために挑み続けていた。右足は、全ての指を凍傷で失ったため、クライミングシューズのサイズが2センチほど小さい。両手の薬指、小指と右手中指の第一関節から先も凍傷で切断したため、岩登りの能力は以前の4割ほどに落ちてしまった。
2002年、山野井はヒマラヤのギャチュン・カン(7952m)に挑戦した。当初は未踏の北東壁に、単独で登る予定だったが、雪崩の危険が大きかったため、妻の妙子と2人で、過去に1度だけ登られたことがある北壁を目指した。ギャチュン・カンには、山野井だけが登頂に成功。下山をする途中に、雪崩が妙子を直撃した。絶壁で宙ぶらりになりながら上を見ると山野井が確保するロープが切れ掛かっていた。さらに高度の影響か、山野井の目が見えなくなっていた。絶体絶命の状況だったが、山野井は冷静だった。凍傷で指を失うのも覚悟し、小指、薬指の順番で、ハーケンを打ち込む岩の割れ目をなぞって探し、何度もの雪崩に耐え抜きながらロープで下降を続け、ついに生還を果たした。
現在、56歳になった山野井は10歳の時に山登りを始めて以来、3000回以上ものクライミングを経験してきた。中でも山野井は、単独で登ることにこだわり、「ソロクライマー」として世界中の未踏の巨壁に挑み続けてきた。しかしソロは、最も危険なスタイルでもあり、多くのソロクライマーが登攀中に亡くなっている現実がある。「天国に一番近い男」と言われたこともある山野井が、なぜ生き残ってこられたのか。
「最終的には運とかいうけど、ものすごい場数を踏んでるし、山からの情報をつかみ取る能力は一番、自慢できる能力はあると思う」
「登山を始めているときから達観しているのは、命は簡単に失われるというか、生命あるもの簡単に失われるというのは子供のころから感じているというか。山登りを知ってからだと思うけど、意識をやたらしている、命について常に。中学生のころから命についてずっと意識している子供なんてあまりいないでしょ。来週はこんな危ないところに行くんだ。もしかしたら一歩間違ったら死んでしまうかもしれない。毎週のように繰り返している。」「小さいころから危ない行為を毎週繰り返していたから、運動能力とは違うところで、瞬時に判断していく能力もこの時代に養ったのかもしれない」
山野井は中学生のころから、岩登りにのめりこんでいった。高校時代に書いた手帳を見ると、毎週末の休みは全て岩登りに明け暮れ、このころから谷川岳一ノ倉沢などで「単独登攀」の記録も見られるようになる。その山野井が「ソロクライマー」として、人生最大の目標と定めたヒマラヤの巨壁があった。