ヒマラヤ最難ルートに挑んだ唯一の日本人

きっかけは、高校時代に買った1冊の山岳雑誌だった。国内外の先鋭的登山を紹介する山と渓谷社の雑誌『岩と雪』90号で、世界第5位の高峰マカルー(8463m)の未踏の西壁への挑戦が特集された。1981年、ポーランドの伝説的クライマー、ヴォイテク・クルティカらが、春と秋の2度にわたって挑戦したものの、7800mから始まるヘッドウォールに到達したのを最後に敗退した記録と、マカルー西壁の写真だった。
「あきらかに垂直以上あるこの影とか、これを見た時、(頂上が)8400m以上あって、なおかつ頂上直下にこんなに切り立った岩壁がある。そしてあの英雄的なクルティカが全然太刀打ちできなかった。えー、どんなのマカルーってちょっと思ったし。そのときから17,18歳からマカルー西壁は頭にずっとこびりついてたと思う。マカルー西壁って完璧な課題だよね。あの形、ピラミッドのような形の山で切り立った壁。完璧だね」
マカルー西壁は、標高差が2700メートルあり、8千メートルを超えて、難しい岩登りや薄い酸素の中でビバークを強いられるため、仮に頂上を踏んでも無事に帰って来られる確率は低く、「ヒマラヤ最後の課題」「ヒマラヤ最難」とも言われる。当代一流のクライマーが挑戦しているが、あまりの難しさゆえ、挑戦したのはチームとしてもこれまで10隊にも満たない。
「ある程度、クライマーだったらマカルー西壁に興味を持つと思うけど、勝算がないというか、確率があまりにも低すぎる。行ったら死んでしまうかもしれないと思うからと行かないのかもしれない。マカルー西壁に挑むくらいのクライマーという言い方するとほかの人に失礼だけど、歴史を塗り替えてやろうとかそういうレベルではなくて、もっと本当に純粋に山が好き、垂直のところを登ってみたい。それも困難を突破してみたいと思う人じゃないと行かないんだろうね」
高校を卒業した山野井は、ヨセミテを皮切りに世界の壁を登る人生をスタートさせる。極北のバフィン島、トール西壁単独初登。パタゴニア冬季フィッツ・ロイ単独初登などを経て、26歳からヒマラヤでの登山活動を始めると、自然とマカルー西壁を目標に定めるようになっていった。そして1996年、ついに挑戦するときがやってきた。後にも先にもマカルー西壁に挑戦した唯一の日本人として…山野井31歳の時だった。