祖父の弟は空襲で亡くなったのではなく…
一方、「空襲で亡くなった」と聞かされていた祖父の弟、尋司さんの記録には違う事実が。
「戦争栄養失調症ニヨリ戦病死ス」

(角田梨紗さん)
「あ、病気のほうで死んだんだと。どっちかの情報が間違っていたのか、真意は分からない。死亡した日付はあるけど、時間は空欄になっていて、朝起きたら目を覚まさなかった、そんなケースもある。誰にも看取られず一人で。19歳で一番 力のある青年が、痩せこけて目も当てられない姿で亡くなったと想像すると、そういう状況を強いた80年前の戦争が、二度とあってはならないと改めてそう思わされました」

角田さんは戦後80年のこの夏、小学2年生と3年生の息子にもこの記録を見せることにした。
(角田さん)「読めるところあると思うよ。昭和19年9月3日、現役兵として中部第十三部隊に入隊」
(息子の直人さん 9歳)「『戦争はやらない』と分かった」
(角田さん)「なんでやりたくない?」
(直人さん)「危ないから」
(角田さん)「恵人は?」
(息子の恵人さん 7歳)「仲間を失うといやだから」
(角田さん)
「ちょっと今は難しくても、また次に語ったら そのとき感じる何かがあるかもしれない。根気強く触れさせていこうと思います」
