「家族の記録」を取り寄せ 若者たちに紹介

愛知県の小澤美由紀さんも「家族の記録」を取り寄せたひとり。

(小澤美由紀さん)
「こちらが祖父の証明、これが大叔父のほうです 」

祖父 禎さんと、その弟で戦死した等さんの記録。

小澤さんはそれを、名古屋・名東区にある「戦争と平和の資料館 ピースあいち」で紹介している。

(小澤さん) 「自分の話になるんですけど。この写真は私の大叔父、おじいちゃんの弟が16歳で兵隊に志願して、17歳で1年も経たずに、トラック島というところで亡くなっています」
(小澤さん) 「トラック島って聞いたことありますか?」
(来館した高校生)「ないです」
(小澤さん)「ですよね。私も自分の身内の話を調べるまで聞いたこともなかった
し、どこにあるかも知らなかった」

日本海軍にとって南洋の最重要拠点だった現在のミクロネシア連邦のトラック諸島では、1944年2月17日と18日、アメリカ軍による大規模な空襲が行われた。

旧海軍の記録は厚生労働省が管理していて、小澤さんが取り寄せた記録には細かい記載が。

「巡洋艦『阿賀野』の乗組として勤務中のところ潜水艦の雷撃を受け、護衛の駆逐艦『追風』に収容されトラック諸島に向け帰投中、午前7時40分魚雷により、『追風』沈没の際に戦死されております」

(小澤さん)
「生き残った人が書き残すとか伝えてくれたから、ここまでの記録が残っている。記録が残っているだけですごいこと」

記録を調べたきっかけは、実家の建て替えの際に見つかった、祖父 禎さんの遺品だった。

(小澤さん)
「私の祖父は『落下傘部隊』と言ってパラシュートを身に付けて、南方をぐるっと回る部隊にいたので、そのパラシュートが出てきた。捨ててしまうわけにもいかないし、資料館に納めさせてもらおうと思ったら『おじいさまがどこの部隊に所属していたのか教えてください』と言われ、調べ始めたことがきっかけ」