2025年7月。
井手裕彦さんは、“死亡記録配達人”として新潟県長岡市に住む小黒良作さんのもとを訪ねました。

井手さんがまず伝えたのは…
「アムラルトという病院です」
「1946年4月に入院されて、12月に亡くなられるということで…」
「死因が書いてある。肺浸潤と腸結核」

小黒良作さんの叔父・赳さんが、抑留先のモンゴルで結核菌が腸に入ったものの、薬が十分にないまま抑留者専用の病院で闘病の末に死亡したという事実です。

終戦の前年に満州の歩兵第240連隊へ入隊した小黒赳さんは、22歳でその生涯を閉じました。

モンゴルへの入国経緯についても、所属部隊から割り出しました。

「承徳(しょうとく)という場所が…。ここに小黒赳さんはいらっしゃった」
「武装解除して武器を渡して、捕虜になった」