捕虜になった小黒赳さんは、満洲の都市・承徳(しょうとく)から徒歩で120kmも行軍させられ、ぎゅうぎゅう詰めの貨車に乗せられ、ソ連国内を経由。およそ2か月後、ソ連との国境を徒歩で渡らされ、モンゴルに連れて来られました。

さらに収容所の名前から、「小黒赳さんは建築用木材の伐採をしていた」“死亡記録配達人”の井手裕彦さんは推測しています。

【赳さんの甥・小黒良作さん(78歳)】
「長い距離を移動したり8か月も入院したり、その思いはどういうふうに…。もう話もできない。日本に帰りたかっただろうし」
【良作さんの妻・小黒慶子さん(79歳)】
「今の時代、嫌なことが一杯あるけど、戦争に行かれたあの頃を思うと我慢しなきゃ…。親しくしていた人がなくなっていくその瞬間のことを思うと」

小黒良作さんの孫たちも、説明の場に参加しました。

【孫・小黒愛心くん(11歳)】
「赳さんは辛かったし大変だった。赳さんじゃなくても、他の戦争を経験した全員が大変だったということが分かった」

故郷に、赳さんの遺骨は戻っていません。
家の庭先にある慰霊碑は、ただ戦死だけを知った父親が、息子・赳さんの弔いを後世に託したものでした。