広島と長崎に原子爆弾が投下されてから80年が経ちました。被爆体験の継承が課題となる中、最も若い証言者として、その悲惨な「実相」を伝え続ける県ゆかりの被爆者がいます。

加賀谷悠羽 記者
「80回目の原爆の日を迎えました。式典の会場には世界中から多くの人が集まり平和への祈りを捧げます」

犠牲者を追悼する平和記念式典に毎年訪れる男性がいます。

飯田國彦さん(83)3歳のときに被爆しました。

飯田國彦さん
「被爆者が『水、水、水…』と言って飲めないで死んでいったでしょ。その代わりに飲んであげるんです。それ知らないのよね」

長年、被爆体験の語り部として活動しています。

1945年8月6日午前8時15分。広島に1発の原子爆弾が落とされました。

街は一瞬にして焦土と化し、その年のうちにおよそ14万人が死亡。

飯田さんは爆心地からわずか900メートルの母の実家で被爆しました。