『長岡花火』とは… 慰霊と復興、平和への祈りを込めた花火

今年は戦後80年。終戦直前、長岡の襲った悲劇をみなさんはご存じでしょうか。

今から80年前の1945年(昭和20年)8月1日の夜。長岡の街はアメリカ軍の空襲を受け、雨のように降り注ぐ焼夷弾などによって市街地の8割が焼け野原となり、1489人の尊い命が失われました。

戦後、復興を目指した長岡の人々は、1946年(昭和21年)8月1日に「長岡復興祭」を開催し、翌年には、現在の“長岡花火”の原点となる花火大会が始まりました。

慰霊の花火「白菊」

さらに2004年には最大震度7の中越地震が発生し、長岡も大きな被害を受けました。幾度となく街を襲った“悲劇”から復興を遂げてきた長岡。
長岡花火は、長岡市の市章『不死鳥(フェニックス)』のように、苦しい状況から立ち上がる市民の心のよりどころとなっているのかもしれません。

長岡花火の名物花火「復興祈願花火フェニックス」

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