◆軍隊組織内で命令されてやった事が死に価するとは

横浜軍事法廷(米国立公文書館所蔵)

石垣島事件で処刑された7人のうちの一人、幕田稔大尉は、遺書に次のように書いた。

<幕田稔大尉の遺書 1950年 31歳でスガモプリズンで刑死>
「いくら考えても軍隊組織内に於いて命令でやった事が此の現実的な世界に於いて死に価するとは考えられない。原爆で死せる数十万の人間を生かして私の眼の前に並べてくれたら私は喜んで署名もしよう。そうでない限り受諾出来ないのである。」


1945年4月、海軍の特攻隊・震洋隊の隊長として石垣島にいた幕田大尉は、石垣島警備隊の井上乙彦司令から、一人目の米軍機搭乗員の斬首を命じられ、その通りに切った。命令に従っただけなのに、なぜ自分が死刑に価するのか、戦闘行為の中の一つではなかったのか。幕田だけでなく、処刑の実行役の多くはそうした感覚を持っていた。

◆日本軍として最も大切な命令服従関係は無視

死刑判決を受ける幕田稔大尉(1948年 米国立公文書館所蔵)

豊田の意見書にも、そのような状況が指摘されている。

<いわゆる「戦犯」の釈放、減刑等に対する一般勧告の重要緊急性についての意見 厚生事務官 豊田隈雄>※現代風に書き換え

(5)軍隊という公的組織内で行われた行為に対し、日本軍としての最も大切な命令服従関係及びこれに対する当然の責任の所在は全く無視されて、関係する各個人が訴追された。又、あらゆる方面で証拠が欠如しているため、当然の責任者が全く訴追を免れているなどの結果があり、課せられた刑に対して、服役者は国内的にも国際的にも大きな矛盾と割り切れない極めて複雑な感情とを残している。

(6)刑量の標準があいまいであり、相手国裁判の時期又担当の裁判官(多くは戦時中、日本の捕虜であった軍人)によって同種犯罪に対する刑量も著しい差異があり、刑量は一般に極めて重い。

(7)言語が不自由なため、裁判上不利を招いた点が極めて大である。