「自分の人生を全部かけてくれた」父への思い
Q(司会者): トレーナーとしてずっと付き添い、その前からお父様というお立場である斉(ひとし)さんにはどんな思いを?
(田中恒成選手)
空手を始めたのが僕が3歳の時だったので、その時から数えると約30年、誰にどんなこと言われても、何があっても一切ぶれずに、僕に人生をかけてくれたなというそんな思いがあります。本当に自分の体に何があっても、それこそ骨が折れたとか、当時は足首の骨が折れたとか、色々あったと思うんですけど、その日でも仕事プラス稽古みたいな。高校生になるまでは本当に365日、そんな感じで。

僕のおじいちゃん(斉さんのお父さん)が亡くなった時も、その日も「じいちゃんもそれを願っているから」と言って練習。なんかそれくらい自分の人生を全てかけてくれたという思いがあるので、計り知れないほどの感謝はありますけど、自分の人生を本当に全部かけてくれたからこそ、親の人生も、言い方が正しいか分からないですけど、背負っているような感じがして、本当に「ありがとうございます」と言いたいです。
Q(司会者): そして何よりも田中恒成ファンの皆さんへ、この場でのメッセージをお願いできますか?
(田中恒成選手)
ここまでたくさんの応援を本当にありがとうございました。自分一人では本当に頑張れなかった時とか、あの声援があったからこそ、ここまで一度も諦めることなく戦い続けられたんだなと思います。本当に身近な人からボクシングというのは応援が始まり、今ではこうやってたくさんの人に応援してもらえるようになりました。

ボクシングを通して「かっこいい人になりたいな」ということをずっと考え、思い続けてやってきた中で、そういうボクサーに、そういう人になれたかは分かりませんが、何をするにも判断基準が「かっこいいかどうか」と決めてきたので、これからもその軸は変えずに、田中恒成を応援して良かったなと思ってもらえるように、これからも頑張って生きていきたいと思っています。ここまで応援ありがとうございます。
Q(司会者): その「かっこいい人」としての軸をぶらさずに、現時点での今後の夢、ビジョンなどよろしかったら教えてください。
(田中恒成選手)
ボクシング界に関わっていきたいなとか、ボクシングというよりも人に対してのことが、自分は一番熱を注げるというか頑張れると思うので、少なくともボクシングには大きく関わって今後も生きていきたいなと思っています。
◇田中恒成(たなか・こうせい)
1995年6月15日生まれ、岐阜県多治見市出身の29歳。小5の時、兄とともにボクシングを始める(それまでは空手)。高校1年で山口国体を優勝すると、2年でインターハイ優勝、国体2連覇、さらに選抜も優勝し、高校4冠。2013年インターハイ後、元WBC世界スーパーバンタム級王者・畑中清詞の畑中ボクシングジムに入門。2013年9月22日に、名古屋国際会議場にてB級プロテスト合格。10月10日、当時在学していた岐阜・中京高校で異例となるプロ転向記者会見を開いた。
■2013年11月10日、オスカー・レクナファ相手にプロデビュー、判定勝利でデビュー戦を飾った。2014年4月、中京大学経済学部に進学。
■2015年5月30日、WBO世界ミニマム級王座決定戦でフリアン・イエドラスと対戦、12回、判定勝ちを収め、日本男子最速となるプロ5戦目での世界王座獲得に成功。
■2016年12月31日、岐阜メモリアルセンターにて、WBO世界ライトフライ級王座決定戦でモイセス・フエンテスと対戦。5回TKO勝ちを収め、井上尚弥と並ぶ日本最速タイ記録プロ8戦目での2階級制覇を達成した。
■2018年9月24日、テバオーシャンアリーナにてWBO世界フライ級タイトルマッチで木村翔(青木)に挑戦し、12回判定勝ち、世界最速タイ記録となるプロ12戦目での3階級制覇を果たした。
■2024年2月24日、東京・両国国技館にてWBO世界スーパーフライ級王座決定戦でクリスチャン・バカセグアと対戦、12回判定で勝利し、井岡一翔、井上尚弥に次ぐ日本人3人目となる世界4階級制覇を成し遂げた。記録的には元世界6階級制覇のデラホーヤの24戦目を上回る、史上最速21戦目で達成。
■2024年10月14日、有明アリーナにてWBO世界スーパーフライ級タイトルマッチでプメレレ・カフと初防衛戦、12回1-2の判定で敗れ初防衛に失敗、王座から陥落した。