低迷期からのV字回復と「思い出し装置」となったポケモンGO

野村
その後、株式会社ポケモンが設立されるのですね。

中山
はい、1990年代末から2000年初頭にかけて、任天堂、ゲームフリーク、クリーチャーズの3社によって株式会社ポケモンが設立されました。しかし、ブームは一度落ち着き、2010年頃には赤字に転落するほど業績が悪化した時期もありました。当時は『妖怪ウォッチ』の勢いがすごかったので、ポケモンは抜かれてしまったという印象さえありました

野村
そこからどうやって再浮上したのでしょうか。

中山
転機となったのが2016年の『ポケモンGO』です。これは記憶に新しいでしょう。ナイアンティック社のジョン・ハンケさんが開発したこのARゲームは、世界中で社会現象となりました。

野村
『ポケモンGO』はもう8年も前になるんですね。とはいえ、10年近くも低迷していた時期があったことでしょうか。

中山
きつかったと思いますよ。株式会社ポケモンの人が、ブシロードというカードゲームが強い会社に「カードゲームってどうしたらいいんですかね」と、相談していたようです。特に、ポケモンカードは低迷しまくっていたんですね。

当時は遊戯王がすごく強くて、ブシロードの『ヴァンガード』が上がってきた時代です。ポケモンカードはそこまですごくないカードゲームというイメージでした。

野村
『ポケモンGO』のヒットが、その後のポケモンカードゲームの再燃にも繋がったのでしょうか?

中山
まさにその通りです。『ポケモンGO』でポケモン熱が再燃した人々が、昔遊んだポケモンカードを引っ張り出す動きがありました。そして、コロナ禍で生まれた余暇時間や、ある種の投資対象としての側面も相まって、ポケモンカード市場は爆発的に拡大しました。

野村
YouTuberが高額なポケモンカードを紹介したり、1枚のカードが6億円で取引されたというニュースもありましたね。

中山
二次流通市場での価格高騰もブームを後押ししました。こうした複合的な要因が重なり、一時は低迷していたポケモンカードは、今や日本のカードゲーム市場の半分を占めるほどの存在になりました。

株式会社ポケモンも、売上3000億円近く、利益700~800億円という、他のエンタメ企業を寄せ付けない驚異的な業績を上げています。コロナの後のポケモンカードの動きというのは、エンタメ史に残るビジネス成功例かもしれませんね。