「毒蝮」という名前も談志さんによるものでした。談志さんから「お前、怪獣に負けないような名前で『蝮』って付けよう。蝮はみんなに嫌われてるからちょうど良いよな」と提案されたそうです。
また、毒蝮さんの特徴である「毒舌」について、「別に相手を軽蔑したり、バカにして言ってるんじゃないんだ。俺にとっては日常な言葉だった」と強調します。浅草・吉原で戦後を過ごした経験から、「『おばあさん』なんて言ったって返事しねえんだよ。」「『うるせえな、このババア』って言うと(向こうは)『なんだこのガキ』つって(返してくる)」「そういうところで育ったから、乱暴な言葉って思ってなかったんだよ。」と当時の様子を伝え、現在も、お年寄りとの「やりとり」や「言葉」に愛情を込めていることを説明しました。
自身の長い芸能生活について「普通に12歳ぐらいから、たまたま芸能界でずっと来ちゃったというだけ」と語り、「何で続いたんですかって言われたけど、普通にやってて続いちゃったってしか言いようがない」と淡々と話します。
長く活躍できた理由として「考え方とか、生活がそんなブレてないから、続いたっていうことにもなんのかな?」と自己分析。40~50年ぶりに会った友人から「変わりませんね」と言われることについて「変わらないってことは『進歩が無い』っていうことじゃなくて、変わってるんですよ、見た目も。色々変わってるんだけど、内容が変わらないっていうんで、カッコよく言えばブレてないってこと」と述べています。
自分から動いて決めたことは『ほとんどない』と話す毒蝮さん「自分からこれをやらなきゃっていうのは1個、結婚だけだな」と明かし、有楽町の駅前で妻を口説いたエピソードを披露しました。
毒蝮さんは「腕を掴んで引き戻して『結婚してくれないか、もう友達として付き合うのは嫌だ』」と伝えたそうです。妻からは1週間後に「そんなに言うなら結婚を約束ということの条件で、お付き合いしても良いですよ」という返事をもらい、翌年に談志さんの司会で結婚式を挙げたと、懐かしみました。














