乗客106人が死亡した2005年のJR福知山線脱線事故。鈴木順子さん(50)は当時2両目に乗っていて、一命をとりとめ奇跡的に回復しましたが、記憶障害となりました。家族らに支えながら生き続けてきたこの20年。今の思いを聞きました。
「お弁当箱の中に豆腐を入れて、がしゃがしゃと振ったような…」
20年前の脱線事故で鈴木順子さん(50)は意識不明の重体で見つかりました。全身を強く打ち、脳に致命的なダメージを受けていて、医師は家族に厳しい宣告をしました。
(大阪市立総合医療センター 林下浩士医師※2006年取材)「わかりやすく言えば、お弁当箱の中に豆腐を入れて、がしゃがしゃと振ったような…。お豆腐はぐちゃぐちゃになる、これはそういう衝撃が加わったCT画像です。『もしかしたら(助かる)』という曖昧な言葉は使わなかったと思います。『亡くなります』と。たとえ良くなったとしても『意識は出ません』と、そういう説明をしました」
その後、何とか一命をとりとめた順子さんの意識を回復させようと、家族はあらゆる刺激を与えました。
(順子さんの姉 敦子さん)「何か思い出すかなと思って、頭に巻く三角巾に香水を毎日振ったり、CDで音楽を聴ける物を買ったり、童謡を聴かせたり」
事故から5か月後、奇跡的に意識は回復しましたが会話を交わせるほどではなく、母・もも子さんは順子さんの“ある言葉”に胸を痛めました。
(順子さんの母 もも子さん)「ときどき声が出るときは『なんで~』と言うんです。なんで自分がここにいるのか、なんでこうなったのか、あの子の中では理解できていない」
もう一つ気がかりだったのは、食事をしないこと。事故直後、口の中がガラス片で埋まっていた順子さんは、食べることを拒否し続けていました。ところが、事故から11か月後、退院して1週間が過ぎた時、初めてプリンを口にしました。この日を境に食事をとるようになり、笑顔も増えていきました。