市民の足として1964年(昭和39年)のピーク時には年間3600万人、1日約10万人が利用した市電。

市電の混雑の様子

しかし、以降は車が普及し利用者が減ったため1975年(昭和50年)の市議会で廃止することが決定しました。

庄子喜隆さん
「本当になくなるのかって頭が白くなるような感じ。市電がなくなるあたりというのは渋滞があったことは確か、車から邪魔者扱いされるみたいな形になった

そして、1976年(昭和51年)3月31日、50年の歴史に幕を閉じました。

お別れ式

運転手(当時):
「感慨無量ですね。こんなに早くなくなろうとは夢にも思わなかったですけど」

見送りにきた人(当時):
「市電なくなるのはちょっと寂しい。学校は市電で通っていましたし、子どもも市電で通っていたので残念です」

県庁前には、約1万人が集まり市電の最後を見届けました。

アナウンサー:
「本当に長い間ご苦労さま。私たちの手足となってくれて本当にありがとうという言葉を送りながら、市電の姿を見送りたいと思います」

庄子さんもこの日、市電の最後の姿を追いかけたといいます。

庄子喜隆さん:
「あの日はカメラをおいて8ミリフィルムでずっと原ノ町から市役所のお別れ式のところまで追いかけた。寂しいと今でも思いますけどね。今でも走っていればねなんて言いますね」

廃止となった市電の車両は、太白区の仙台市電保存館や秋保地区に保存されていますが、シドニーにあるトラム博物館では、現在も走行できる状態の車両が保存されています。

トラム博物館