東日本大震災からの復興の陣頭指揮をとっていた宮城県南三陸町の佐藤仁町長が5日で退任します。これを前に4日、最後の定例会見に臨み「震災の惨状は生涯忘れられない」と5期20年を振り返りました。

南三陸町 佐藤仁町長:
「東日本大震災で命を拾った首長はたぶん私1人 あの経験をしたことを次の世代にしっかり伝えていくということが私の役割、務め」

佐藤町長は旧志津川町の町長を経て、2005年に歌津町との合併で誕生した南三陸町の初代町長に当選しました。東日本大震災の際には、職員ら43人が犠牲になった防災対策庁舎で、自らも流されそうになりながらも九死に一生を得ました。不起訴になったものの、職員を避難させる義務を怠ったなどとして、業務上過失致死の疑いで刑事告訴もされました。

南三陸町 佐藤仁町長:
「町が全て瓦礫だらけになってしまった。あの惨状は生涯忘れられない。震災発生時、防災対策庁舎の屋上で夜、全身ずぶ濡れで火にあたりながら我々がこの町を再建しなくてはと職員と話した時が私の原点ですから。この町をなんとか再建する、我々に課せられた使命感を感じてきたので14年間揺らぎはなかった」

南三陸町では震災で、関連死も含めて620人が死亡し、211人が行方不明になりました。また、住宅の全壊も3100棟を超えました。震災後、佐藤町長は復興事業の指揮を執ってきました。

南三陸町 佐藤仁町長:
「(南三陸町の)復興ができ、私も肩の荷が下りて退任する事が出来ます。12年間、復旧・復興へかかりましたが町民の皆さんも頑張ってくれた。耐え忍んでくれたと思う。そして震災の復興事業が全て終わり、今回 退任する事になりました」
5期20年の大半を震災からの復興に取り組んだ佐藤町長。5日で任期を終え、町役場を後にします。














