右翼団体が背後に?

国会では治安対策を問う声が上がりました。刃物をおおっぴらに持ち歩くことの危険もさることながら、少年Aが右翼団体・大日本愛国党に所属していたことが問題視されたのです。

少年Aは愛国党に所属(仮入党)していましたが、襲撃前に脱党していたといいます。

少年Aは「仮入党」の身分であり、その後脱党したといいます。

警視庁は大日本愛国党を家宅捜索し、赤尾敏総裁が逮捕されるにいたりました(殺人教唆の疑い)。しかし、その2か月後には証拠不十分で不起訴となっています。

「数寄屋橋の辻説法」で有名だった赤尾敏総裁は、当時の「右翼」の代表格のような人物でした。

事件以後の少年A

じつはこの事件、当時の右翼の中でも評価については意見が分かれていました。

前年の浅沼事件とは違って、ターゲット本人ではなく無関係の女性を殺傷させたこと。そして、その家政婦は社長夫人を守って亡くなっており彼女に対する国民の同情が集まったことが大きかったとされます。

一方、言論界からは「言論の自由」「暴力に屈するな」との主張が多々上がりました。しかし、いわゆる「菊のタブー」がますます意識されるようになった、との声も聞かれるようにもなったのです。

不穏な雰囲気で幕を開けた1960年代でしたが、この後日本はオリンピックのお祭り騒ぎに突入していくのです。

判決は懲役15年。少年Aは精神疾患を患い医療刑務所送致されましたが、その後の消息は不明です。