「きょうは自宅のお葬式」

去年9月。自宅の解体を決めた三瓶家は、環境省や業者との立会いに臨みました。せめて、家族の思い出が詰まった、柱だけでも残せないか。三瓶家は、業者側に要望しました。

業者「これ、1本ですか。環境省さんのほうでは、正式にあれなんで、私たちの方では何とか…」

業者側は、作業の危険がない限り、保存することを約束し、ピンク色の目印がつけられました。

環境省や業者は、これまでこうした要望を受け入れてきませんでした。おととし、住民の意に反した解体が進められている問題をTUFが報じて以降、環境省はこれまでの方針を転換。「住民の意向を最大限尊重する」としたことが、背景にあるとみられています。

4か月後、雪が舞う中、三瓶家は解体されました。

三瓶さん「そうです。そうです。これです。ありがとうございました」

柱は無事、取り出されました。

三瓶さん「きょうは、自宅のお葬式だと思っているので、きょうが最後だよね。火葬ではないけど、最後なので、形見としてね、1つ、最低でも何かを残したいし、その残せるものは、やっぱり家族にまつわる家族の大切なものを私は残したいと思っていたので…」

柱は、春江さんの夫が避難先で経営する 石材店の工場で、再び立てられました。残ったのは、この柱と建具の一部だけです。

三瓶さん「本当になくなっちゃったったんだなって。それはそれでやっぱり悲しいというか、そういうふうには感じましたね。本当になくなっちゃったんだなって。子どもたちや孫たちとか私が暮らしていた、そういうもの全部なくなって、フレコンバッグとかそういうものに全部、思い出までも廃材として全部詰められているのかなというふうには感じましたね」

解体の直前、春江さんは原発事故後初めて、この家で過ごした孫を連れていきました。

三瓶さん「最後はやっぱり家族で、人間と同じように、自宅のお葬式を家族みんなでお世話になりましたと。今まで家族を守ってきてくれてありがとうと。今までの家族の幸せがあったのは、自宅があってこそ家族の団らんがあったわけだし、そういったことで、やはりありがとうっていう言葉で見送りたいなっていう気持ちがあったので…」