「この14年間はどこに…」避難続く中での“原発回帰”

帰還困難区域では、いまも、家の解体が進んでいます。特定復興再生拠点では、おととしまでに避難指示がすべて解除され、住宅の解体もほぼ完了しました。三瓶家も、この復興拠点の中にありました。

政府は、この復興拠点に含まれない地域に、 新たに「特定帰還居住区域」を設定。帰還を希望する世帯に限って、2029年までに除染や解体を進め、 避難指示を解除する方針です。

こうした中、政府は2月、新たな「エネルギー基本計画」を閣議決定。「可能な限り原発の依存度を低減する」との文言を削り、 原発への回帰を鮮明にしました。いまだに避難生活が続く中での原発回帰。 三瓶さんは、納得がいかない気持ちを抱えています。

三瓶さん「原発って、もう一度、事故がなかったときと同じように、エネルギーとして最大限活用しますっていう言い方されているわけじゃない。じゃあ、私たちの避難生活っていうのは、どこに行っているのと。私たちがいままで築き上げてきたもの。ましてや今回、自宅を解体してまでも、私たちは避難せざるを得ない状況になっているこの14年間は、どこに行っちゃったの。それを考えると、あまりにも同じ国民としての私たちは扱いをされていない。電気を使うためには、原発を使ってもしょうがないよね。避難している人たちは我慢してくださいよ。もうなかった ことにしてくださいよって言われているような気がするので。私たちは避難のときも切り捨てられたと思っているので、避難指示が出なかったためにね。何度も何度も切り捨てられているような、そういう気持ちになっているので、それは本当に国がしてもいいことなのかなと」

2月27日。自宅のあった場所を、三瓶さんが訪れました。建物の解体は、すでに終わっていました。

三瓶さん「私、両親の最期も看取ったし、この家を建てた義父の最期も看取ったんだけど、最期を看取るよりも衝撃が大きかった感じがする。自宅の場合は無理やり壊すわけじゃない。自宅って。自分の思いとは全然かけ離れて、ましてや自分の判断で、私たち家族で最後『壊してください』って決めたから壊れるわけじゃない。自宅のお葬式だって、見送ろうと思ってきたんだけど、ちょっと違うような気がする。それは自分が願ってもいないことを自分で決断をして、あえて壊す、なくす、ということに対しての罪悪感と言っていいのかわからないけど…」

三瓶さんは、 解体したことへの後ろめたさを感じながら、ふるさとで過ごすはずだった日々を思います。

三瓶さん「だって原発事故がなかったら(自宅を)壊すこともなかったし、ここにうちらの子どもたちも『あはは』と笑いながら、学校に通っていた。自分たちで地域を壊したわけではないから、それだけの重み、原発事故が引き起こした重みというのは、私は感じ取るべきだと思うよね」