子や孫の成長記した“柱”

4年前。震災から10年の年、この時点でも、家は激しく傷んでいました。

三瓶さん「天井は雨漏り、下は山の水がみんな回ってくるのよ」

生活に不可欠な水が豊富な場所に建てられた三瓶家。その水が、傷みを進めるスピードを早めました。それでも、その日まであった団らんの面影は残されていました。

三瓶さん「平成14年ということは、2年に生まれたから、小学校6年生のときだね、これ」

子や孫の成長を記した柱。 春江さんが最も大切にしてきたものです。大人たちに身長が追いつく日を心待ちにしてきましたが、原発事故で避難した後は、空白となりました。

三瓶さん「ここからここまでの成長記録がないってことですよ。孫たちは、ここで 終わってんのよ。津島での生活が」

国と東京電力を訴えた裁判の原告でもある三瓶さん。 法廷の内外で、原発事故の被害を訴えてきました。依頼があれば自宅にも案内し、1000人以上の人にふるさとの現状を伝えてきました。この日は、苦渋の末に自宅を解体し、その後亡くなった原告への思いを語っていました。

三瓶さん「その人からすれば、自分で解体を決める心労からすると、その病気を発病させてしまったんじゃないかなと思うところがあって…」

どこにでもあった日常と、原発事故の被害の実相。解体されるその日まで、三瓶家は、無言でその両方を訴えてきました。