住民を救った「命の階段」市に要請して整備
住宅がある海岸から、高台にある集会所に逃げるための最短ルートは、住宅裏の崖を上る細い坂道。雨のときは滑りやすく、高齢者も少なくない下出地区にとって決して安全といえる避難経路ではありませんでした。

住民らが珠洲市に要請した結果、階段が整備されるようになり、街灯や手すりも取り付けられました。

奥濱さんは、階段が無かったら、能登半島地震での迅速な避難はできなかったといいます。
奥濱勇信さん
「俺は『命の階段』だと言っている。この階段がもしなかったら、果たしてこの集落の人がすべてが避難できたかといったら、クエスチョン」

訓練を繰り返すうちに、下出地区には1つの合言葉が生まれました。
「何かあったら集会所」住民の口から生まれた合言葉
奥濱勇信さん
「『何かあったら集会所』。これが合言葉になっているので、その合言葉もこの集落の皆さんが把握している」
こうして能登半島地震のときもわずか15分ほどで、ほとんどの住民が高台に避難しました。
しかし、足が不自由な高齢者も多い下出地区。地震の夜、1組の夫婦と連絡が取れませんでした。区長の出村さんが翌朝見に行くと、住宅から反応はありませんでした。
出村正廣さん
「夜が明けてから5時か6時くらいに1回見に行った。声もなかったし、よわったなと」
しかし、集会所を訪れた警察官に話すと、夫婦は正月で息子さんがいる七尾市にいたことが判明。住民全員の無事が確認されました。