◆酔いが回った成迫は「カンカン娘」を唄った

石垣島事件の死刑執行報告書(国立公文書館所蔵)

田嶋教誨師は、石垣島事件で死刑執行された榎本宗応、成迫忠邦についてのエピソードを書き遺していた。

国立公文書館に収蔵されている法務省の戦犯関係資料の中に、石垣島事件の処刑報告書があった。それによると、7人は二回にわけて絞首刑が執行されている。最初の組は、司令の井上乙彦大佐、副長の井上勝太郎大尉、そして幕田稔大尉と田口泰正少尉の4人。そして二組目が榎本宗応中尉と成迫忠邦上等兵曹と藤中松雄一等兵曹だ。午前0時32分に一組目が執行され、その23分後に二組目が執行されたと書いてある。

<わがいのち果てる日に 田嶋隆純>
石垣島関係者のときなども第二回に出発する組は少し時間があったので、榎本氏が、最後に作った短歌だとて小さな紙片を手に朗詠すると、そばの壁に真っ赤な顔で寄りかかっていた成迫氏が、やがて煙草を放して「カンカン娘」を唄い出す。他の者も上機嫌でそれに合唱するといった、誠に朗らかな情景が見られた。


「他の者」と書かれているのは、一緒に死刑執行された藤中松雄ということになる。

◆教誨師の遺品にあった紙片

榎本宗応の歌が書かれた紙片

田嶋教誨師の遺品の中から、「榎本氏が手に朗詠」した紙片とみられるものが見つかった。掌に隠れるサイズに破られた紙に短歌が書いてある。

吾が最后の時迫り来る 今もまた懐(いと)し 故郷の人を思ほゆ

吾が最后は既に来りぬ此の正子(しょうね)
いざたちゆかむ永遠(とわ)の冥路(よみち)へ

ひそけくも卯月初旬(はじめ)の朝明けの 此の吾が最后を誰(たれ)知るらむか


そして裏面には、

巣鴨の皆様 御元気にお暮しください 榎本宗応

榎本はこの歌を詠み終わったあと、紙片を田嶋教誨師に託したのであろう。

上坂冬子著「遺された妻 横浜裁判BC級戦犯秘録」(1983年中央公論社)の巻頭の写真ページに「榎本宗応の辞世」として墨で書かれた歌の写真が掲載されているが、4首書かれたうちの3首がこの紙片のものと一致した。