◆1970年
1月14日  中曽根康弘、防衛庁長官に就任
8月12日  中曽根康弘、経団連のパーティーで「防衛装備の国産化めざす」とスピーチ

◆1971年
4月27日  防衛庁「第四次防衛力整備計画」原案で対潜哨戒機は国産化へ

◆1972年
2月 8日  国防会議、第四次防大綱決定 対潜哨戒機は国産化方針
7月 6日  田中角栄が内閣総理大臣に就任

8月20日  コーチャンが来日、売り込みの陣頭指揮
8月22日  丸紅・檜山社長がコーチャンに田中総理に「5億円」贈るよう進言。 
8月23日  丸紅・檜山社長、大久保専務が目白の田中邸訪問「5億円」約束
8月29日  コーチャン、クラッターが児玉の紹介で田中の“刎頸の友”小佐野訪問
8月31日  ハワイで第一次田中総理、ニクソン大統領会談(9月1日まで)
9月16日  コーチャンが小佐野訪問、児玉同席
10月5日  コーチャンから相談された児玉が中曽根に電話か
10月中  ロッキード社が秘密代理人・児玉にコンサル料「21億円」支払い
10月 9日  国防会議で対潜哨戒機の国産化方針が突如、白紙撤回
10月11日  田中総理が会見で「(対潜哨戒機は)輸入にウエートを置く」と発言
10月28日  全日空が役員会で「トライスター」導入を決定

◆1973年
6月25日  丸紅・大久保がコーチャンに「5億円」の支払いを催促
7月27日  コーチャンが児玉に「P3C」を「50機」成功なら「25億円」支払う契約
7月31日  第二次田中・ニクソン会談
8月10日  丸紅・伊藤から田中角栄の榎本秘書への1回目のワイロ
8月中    対潜哨戒機(PXL)「専門家会議」が発足
10月12日  丸紅・伊藤から田中角栄の榎本秘書への2回目のワイロ

◆1974年
1月21日  丸紅・伊藤から田中角栄の榎本秘書への3回目のワイロ
3月 1日  丸紅・伊藤から田中角栄の榎本秘書への4回目のワイロ

10月9日  立花隆「田中角栄研究――その金脈と人脈」『文藝春秋』11月号発売
12月9日  金権批判で田中角栄が総理を辞職、 後任は三木武夫
12月中  対潜哨戒機(PXL)「専門家会議」が答申
    「国産はコストや実現性に疑義があり、外国機の導入に言及しつつ更に検討」
12月9日  田中内閣総辞職、三木内閣発足

◆1975年
5月中   防衛庁「P3C」調査団が渡米
11月19日  国防会議が対潜哨戒機について「国産化見送り、P3C導入」との報道

◆1976年
2月4日  ロッキード事件がアメリカ上院「多国籍企業小委員会」公聴会で発覚
2月9日  防衛庁 久保事務次官の発言
     「対潜哨戒機、国産白紙化は防衛庁の預かり知らぬところで決められた」
2月16日  児玉誉士夫「脳梗塞」の診断、証人喚問拒否
4月10日  米SECの資料が東京地検に到着 政府高官名「TANAKA」の記載あり
5月22日  検察がコーチャンらの「嘱託尋問」求めた公文書で「P3C」に言及
7月23日  東京地検特捜部が 田中角栄元総理逮捕を外為違法違反で逮捕
      全日空への 「トラスター」導入をめぐる受託収賄で起訴

◆1977年
8月24日  防衛庁が対潜哨戒機にロ社の「P3C」の採用を内定
12月24日  国防会議が「P3C」45機装備を正式決定

児玉誉士夫

児玉誉士夫の入院と福田太郎通訳の死

捜査関係者の証言などによると、東京地検特捜部は当初、「証人尋問請求書」に対潜哨戒機「P3C」の導入を明記したことから、「田中角栄への5億円」が単なるトライスター売り込みのためではなく、対潜哨戒機「P3C」の導入、あるいは両方の航空機の売り込みを目的としたものと睨んでいた。
さらに特捜部の見立てはこうだーーロッキード社から児玉に流れた「21億円」は、その後、複数の政治家に流れ、「P3C」の防衛庁への売り込み工作資金として使われた。
「トライスター」と「P3C」の両方の売り込みのために、ロ社から児玉に支払われた工作資金は総額「約70億円」に上る。