アウシュビッツ・ビルケナウ強制収容所
1944年11月。列車の扉が開くと、一面が雪で覆われていた。
エヴァ・シェペシさん
すごい雪以外、目に入りませんでした。
暗くて、大きな怒鳴り声がして、寒かった。とても寒かったです。
みんな怒鳴り散らしていました。それが私には衝撃でした。
ホームに降ろされると、バラックへと追い立てられた。
この日は選別は行われなかった。選別が行われ、労働力にならないとみなされた場合、連れていかれるのはバラックではない。実はエヴァさんの母親と弟はこの4か月前、ここで選別され、ガス室へと送られていた。もちろん、当時のエヴァさんはそのことを知る由もなかった。
エヴァ・シェペシさん
バラックで服を全部脱いで裸にならなければなりませんでした。でも私はそのままそこに突っ立っていました。
その日私は母の手編みの青いジャケットを着ていました。それを脱ぎたくなかったので、そこにただ立っていました。
すると見張り役の女がやって来て「すぐに脱げ!」と私を怒鳴りつけました。
私はジャケットを脱いできちんと畳んで横に置きました。すると見張り役の女が
そのジャケットを蹴り飛ばしたんです。
その時、ここでは言われたことを聞かなくてはならないのだと感じました。
消毒室に連れていかれた後、縞の上下と木靴を渡された。衣類はそれだけで、靴下も下着もなかった。
この頃エヴァさんは髪を編んでおさげにしていた。次の部屋ではそれも切られた。切られたおさげが投げ入れられた先には、誰のものとも知れない髪が山のように積みあがっていた。残りの髪も全て切られ、丸刈りにされた。自分を守っていた最後のものを奪われたような気がしたという。

収容所では、些細なことが生死を分けた。
登録のため並んでいると、女性の監視役がスロバキア語で話しかけてきた。
「あんたは16歳。若いフリをしたらダメだよ」
男に名前を聞かれた後、年齢を聞かれた。私は12歳。でも…。
言い淀んでいると「年齢は!?」と怒鳴られたので、反射的に「16歳」と答えた。
男はそのまま記入していた。
年齢は選別の基準になっていた。幼かったり高齢だったりすると、殺される可能性が高かったのだという。
収容者は左腕に刺青で番号を入れられた。エヴァさんの左腕にもまだ番号が残っている。残っていることは辛くありませんか?と尋ねると、エヴァさんはこう答えた。
エヴァ・シェペシさん
もうすっかり慣れてしまいました。これは私の一部です。消すつもりはないかとよく尋ねられますが、そんなことを考えたことはありません。
わざわざ見なくてもそこにあるのはわかります。もしなくなったとしても、刺青があったことを私は知っています。番号を覚えています。
これがアウシュヴィッツなのです。私が生きている限り存在しているのです。

