家族との別れ

エヴァさんは叔母とともに、親戚が住んでいたスロバキアに避難することになった。父親は1942年に勤労動員されており、ハンガリーには母親と弟が残った。母親と離れるのは寂しかったが、「弟を連れて後から行く」という母の言葉を信じて、叔母とスロバキアに向かうことにした。駅のホームで、母親はエヴァさんを息が出来ないほど強く抱きしめた。

エヴァ・シェペシさん
母は目に涙を浮かべていました。
私も母を抱きしめて「後から来るのにどうしてそんなに悲しいのだろう?」と思いました。でも母は何かを感じたのでしょう。

母と弟を見たのはそれが最後です。

スロバキアには幼いころ毎年旅行で行っていた。祖父母の住む自然豊かな村を気に入っていた。しかし当時11歳だったエヴァさんも、国境を超える頃には「これは休暇ではない、逃げているんだ」と感じ取っていた。支援者の力を借りて、11時間森の中を歩いた。

スロバキアでは、エヴァさんはユダヤ人家族に預けられた。叔母は「連絡する」と言い残してエヴァさんのもとを去っていった。しかし、叔母からも母からも、連絡が来ることはなかった。
そのうちにかくまってくれた家族も避難することになり、ある双子の老姉妹のもとに預けられた。生活にも少しずつ慣れてきた頃だった。

エヴァ・シェペシさん
ある晩ベッドに入っていると、大きな怒鳴り声とドアを叩く音が聞こえました。
姉妹の一人がやってきて言いました。

『すぐ服をきて荷物をまとめなさい。他の人たちと一緒に行かなくてはなりません』

私は行きたくありませんでした。もうどこにも行きたくありませんでしたが、受け入れるしかありませんでした。

お気に入りの人形をベッドに置き忘れてきたことに気づいたが、取りに戻ることはできなかった。エヴァさんたちはバスに乗せられ、高齢者施設に連れていかれた。

ドイツ軍は当時、高齢者施設やシナゴーグなどにユダヤ人を一旦集めた後、まとめて収容所へと移送していた。エヴァさんたちが連れていかれた施設からも毎日のように移送が行われていた。3日後、一緒に暮らしていた老姉妹に順番が回ってきた。別れ際、エヴァさんは彼女らに駆け寄ったが、一緒に行くことは許されなかった。

高齢者施設で12歳の誕生日を迎えた。名前を呼ばれ、ついにエヴァさんにも移送の順番が回ってきた。家畜を運ぶための車両で別の施設へと運ばれたあと、列車に詰め込まれた。空腹と息苦しさが不安な気持ちを膨らませていった。