2025年1月27日、アウシュビッツ強制収容所が解放されて80年を迎えた。
アウシュビッツでは110万人が殺害されたといわれている。1945年にソ連軍によって解放された時、収容所内には餓死寸前の収容者およそ7000人が残っていた。その中には、およそ400人の子どもも含まれていた。子どもながらにアウシュビッツを生き抜いた、一人の女性に話を聞くことができた。

現在92歳になるエヴァ・シェペシさんは、土曜日の昼下がりに自宅を訪ねた我々取材班を朗らかな笑顔で迎え入れてくれた。

空気をも変えた「反ユダヤ法」

エヴァさんは1932年、ハンガリー・ブダペスト郊外のユダヤ人家庭で生まれた。
当時ドイツでは反ユダヤ主義が高まりを見せており、エヴァさんが生まれた翌年にはナチスが政権を掌握するに至った。エヴァさんが暮らすハンガリーでも当時の政権がナチス寄りの政策を取り、1938年以降反ユダヤ主義的な法律を複数成立させるなど、次第にユダヤ人への抑圧が強まっていった。旅行や職業選択の自由の制限、電話やラジオの所有禁止、特定の食料品の配給から排除…。日常の中の小さな事がひとつ、またひとつと制限されていった。さらに、反ユダヤ法の制定は市民の空気さえも変化させたという。

エヴァ・シェペシさん
人種差別法が施行された1938年、突然のことでした。それまで一番仲がよかった男の子が突然私のことを無視しはじめ、仲間はずれにされました。
ある日 彼らは血まみれの肉をポンプの水で洗いながら笑っていました。そして私を見つけてこう言ったのです。

『エヴァ こっちに来いよ!お前にもかけてやる!臭いユダヤ人め!』
『もうすぐしたら お前の父親からもこの肉みたいに血が流れるさ』

とてもショックでした。どうしてこんなことが?と。仲良しの友達だったのに。
私は泣きながら家に戻り父のところに行きました。父は私が悲しそうにしているのに気がつき、私を抱きしめました。私は男の子たちが言ったことを父に話しました。すると父はこう言いました。

『娘よ 辛いのはよくわかる友達がそんなことをするなんて』
『でも彼らは何を言っているのか自分でもわかっていない。誰かにそそのかされただけだよ』
『だから彼らに罪はない。何を言っているのか わかっていないのさ』

ドイツは占領した国々でユダヤ人を移送し、虐殺していた。ハンガリー政府は当時それに加担していなかった。しかし1944年3月、ドイツがハンガリーに侵攻すると状況は急速に変化する。当時ハンガリーに住んでいた70万人のユダヤ人のうち、43万人がわずか3か月の間にアウシュヴィッツ・ビルケナウに移送された。