“同性愛は病気”とされた時代を生きる
かつて同性愛は“異常性欲”“変態性欲”だと公然と語られ、治療可能な精神疾患とされてきました。
1915年に発表され同性愛を医学的に論じた「変態性欲論」には、一種の伝染病であり、まん延すれば社会を破壊すると考えられていました。同性愛が病気だと認識された頃、長谷さんは香川県で生まれました。初恋は、小学校の男性教諭でした。
長谷忠さん「告白なんて一切していない。男が女を好きになると簡単に告白できるけど。僕らの少年時代は、男が男を好きなんて言えない」
職場で好きな男性ができた時もありましたが、その思いはいつも心に秘めたまま。同性愛者である自分が近くにいると迷惑になると思い、母やきょうだいとは次第に疎遠になりました。
長谷忠さん「ものすごく生きづらかったよ。もし他人に『お前は同性愛者やなぁ』『同性愛者気味の人間やなぁ』って言われたら『違います』っていう時代や。人の言葉を遮って偽の言葉で隠すわけよ」
本当の自分をさらけ出すことができたのは、ペンネーム「長谷康雄」の名で書いた詩や小説でした。長谷さんは詩人の顔も持っていて、過去に詩集や自身の半生を描いた小説も出版しています。34歳のときには、詩人の新人賞で最も歴史のある「現代詩手帖賞」を受賞しています。
長谷忠さん「僕の場合は文学に惹かれたのが大きかったよ。ひとりの詩人になれたことが僕の誇りやったからね。自分の生きてきた痕跡を自分で書いておきたかった」