【候補予定者一問一答】

■花城氏
Q 政治家を志したきっかけは。
ー30代のころに、就学支援に取り組んだことがある。子どもが一番最初に夢を失って希望をなくすのが小学2年生ごろという話がある。それが中学生になって、もし今から始めようと思っても間に合わないケースが多い。そういった子どもたちを対象にしている活動に一緒に関わって、そのころから政治に興味を持つようになった。 特に、子どもの貧困という言葉が世の中に出回ってからは、就学金の支援などは、これは絶対に政治家がやるべきだと思って、イメージして政治のことを見ていた。

Q 尊敬する人物は。
ーひとり絞るとすれば、桑江朝幸先生。復帰前の沖縄で土地が全部奪われているものを何とか守った。しかも、その時沖縄県をまとめるリーダーで30代だった。その後も立法院議員をやったり、市長を3期やったり。その市長の時代にこの沖縄市が大きく変わったと聞いている。桑江朝幸市長がいなければ、今の沖縄市はそもそもなかったんだろうなと思う。

※桑江朝幸(1918年~1993年)元沖縄市長。桑江朝千夫前市長の父。

Q 元自衛官。政治家や、今の自分にいかされている部分は。
ー集団生活の中で、本当に人を大切にする人が多くいた。後輩を大切にする、同期を大切にする、あの経験は今に生きていると思う。

■仲村氏
Q 政治家を志したきっかけは。
ーやはり新聞記者をしていたことだと思う。私は1996年に琉球新報に入社、その時に、95年に起きた少女暴行事件の、いろんな政府との交渉を県政で取材した。それから、私が生まれ育った故郷の沖縄市を担当した時、北谷町の爆音被害の大きい砂辺地域や、沖縄市の嘉手納基地の周辺、そういった場所で話を聞き、事件事故の取材を通じて、矛盾や、やっぱりおかしいのでは、と気づきがあった。この街を改めてみた時に、私自身がその故郷としているここをベースに、主体的に沖縄の様々な課題の解決に向かっていきたいなと思った。

Q 尊敬する人物は。
ー島マス先生。私が生まれる前に活躍した人なので、直接、お会いしたということではないが、島マス先生の「チムグリサンの心」は、私たちがこの社会で生きていくうえで、私にとってのポリシーだと思っている。チムグリサンというのは、誰かが痛い時に、誰かが苦しい時に、その痛みを自分のものとして感じることができる、そういう心の持ちようをチムグリサンと、島マス先生はおっしゃっていた。やはりこれは、誰かの痛みを自分のものとして感じたり、それを一緒に解決しようと寄り添ったりすることは、本当に強いことだと思う。私は島マス先生を見習って、その心に沿って、進んでいきたいなと思っている。

※島マス(1900年~1988年)教育者、社会活動家。「社会福祉の母」と呼ばれた。

Q 元新聞記者。今の自分にいかされている部分は。
ーそれはもうすべてと言っても過言ではない。社会人1年生を記者でスタートしたから、社会におけるいろんな出会い、教えていただいたのは取材現場でお会いした取材を受けてくださるみなさんだった。県政をみたり、沖縄市政を見たり、北谷町政を見たり、那覇市制を見たり、そういうなかで、街づくり、行政はこうだなと。それから選挙取材を通して、政治、市民、こういう風に成り立つんだなと、一つ一つ学んできたのがまさに記者時代。それこそが今の私をつくる、最大の原点になっている。