「前例はありませんが、交渉してみる価値はあります」

ロッキード事件は日米のみならず、オランダ、イタリア、西ドイツ、インドネシアなど世界各国で同様の汚職が発覚し、世界規模のスキャンダルに拡大した。
ベトナム戦争が終結した影響で、赤字に転落したロ社は、業績回復の切り札として民間機「トライスター」と軍用機の「P3C」の販売に全力を注いでいた。

「P3C」は敵の潜水艦を見つけるための「対潜哨戒機」である。当時の日本でも「国産」の「対潜哨戒機」の開発が進められていた。
しかし、田中政権下で突如、国産化計画が白紙撤回となり、「輸入」に戻るという不可解な経緯があった。

米国発の大スキャンダルに日本は騒然となった。
2月5日、外電に気が付いた朝日新聞だけが朝刊で「ロッキード社、丸紅・児玉へ資金」と一報を伝えた。
その日の夕刊各紙の一面には「ロッキードの対日工作費は30億円」「丸紅、児玉通じロッキードから政府高官へ」「ロッキードがワイロ商法、児玉に21億円」などの見出しが踊った。

2月6日、金脈問題で退陣した田中元総理のあとを受けて、総理大臣に就いていた“バルカン政治家”三木武夫は、すぐに「ロッキード事件の真相究明」を表明した。
クリーンなイメージを売りにする三木は、アメリカ側から捜査資料を取り寄せ、政府高官の名前を公表したいと考えていた。

マスコミの報道が過熱するなかで、東京地検特捜部は水面下で捜査を進めた。
捜査の陣頭指揮を執ったのは、のちに検事総長となる”特捜の鬼”吉永祐介(7期)主任検事だった。
吉永は、国税庁と連絡を取りながら、公開された領収書などをもとに証拠の積み上げをめざした。

2月16日に開かれた国会の「証人喚問」に小佐野賢治が呼ばれた。
小佐野は「記憶にございません」を連発、この年の「流行語」となり、テレビで全国中継された証人喚問は、異例の高視聴率を記録し、国民の関心の高さを如実に示した。
その後、丸紅、全日空の役員らへの「証人喚問」も行われたが、役員らは疑惑を全面的に否定。それらの証言はのちに偽証罪に問われることになる。

田中角栄の“刎頸の友”小佐野賢治(国際興業グループ創業者)

2月18日、ロッキード事件の捜査方針を決めるための「検察首脳会議」が初めて開かれた。
当時、堀田力(13期)検事はまだ41歳の法務省刑事局の参事官だったが、法律面から意見を述べる立場で出席していた。

捜査を統括する吉永は、事件への慎重な姿勢を崩さなかった。

「アメリカでさえ公開してない秘密捜査資料など、日本の捜査当局が、入手できるはずがない。そもそも日本に渡す義務もない」(吉永)

これに対して大使館勤務の経験もあった堀田はこう意見を挟んだ。

「アメリカのSECが持っている未公開資料を入手できる可能性もあります。前例はありませんが、交渉してみる価値はあると思います」

さらに堀田は踏み込んだ意見を述べた。

「アメリカの司法省が捜査協力に応じてくれれば、日本の検事が直接、ロッキードの幹部を取り調べることも可能かもしれません」

堀田の発言に対し、吉永の視線が鋭く向けられた。

「この状況で、吉永さんがロッキード社側が任意の事情聴取に応じるはずもなく、義務もないと考えるのは、当然のことでした。
吉永さんの立場で、失敗は許されないというプレッシャーは理解していますが、明らかにその場で睨まれました」(堀田)

元東京地検特捜部 ロッキード事件捜査主任検事・吉永祐介(7期)