ターゲットは“政財界の大物フィクサー”児玉誉士夫

ロッキード事件に話を戻す。2月18日に行われた一回目の「検察首脳会議」、重い空気が漂うなか、検察ナンバー2の神谷尚男検事長がこう呼びかけた。

「この捜査が大変なことはよくわかっています。しかし、もしここで検察が立ち上がれなかったら、検察は今後20年間、国民から信頼されないだろう」

それに続き、検察トップのフセケン(布施健検事総長)が「全責任は私が取る。思う存分やってほしい」と強い決意を示し、捜査に「ゴーサイン」が下された。
そして堀田は交渉のために極秘で2月26日、渡米することになった。

「わざわざ沖縄、グアムを経由して、米国に入りました。もたろんスーツネクタイではなく、派手な上着にカメラを下げ、サングラスをかけて観光客を装いました」(堀田)

ロッキード事件捜査の主任検事・吉永祐介が当初、ターゲットに定めたのは政財界に絶大な影響力を持つ黒幕で、裏社会にも深く通じていた大物右翼の“フィクサー”児玉誉士夫であった。

児玉は戦後の多くの疑獄事件で関与が取り沙汰されながら、いつも捜査の網をすり抜け、特捜部にとっては手が届かない存在だった。
そんな児玉に、ロッキード社の秘密交渉人として『21億円』を受け取った疑惑が浮上、ついに特捜部がメスを入れる最後の好機が訪れたのである。

最大の問題は「21億円」についての脱税(所得税法違反)の時効期限が3月に迫っていたことだ。
特捜部はこの脱税をまず立件し、それを突破口としてロッキード社の『トライスター』や『P3C』の疑惑に攻め込む方針を固めた。

警視庁にも設置されたロッキード事件特別捜査本部(1976年2月24日)

事件発覚から20日目の2月24日、正式に「ロッキード事件捜査本部」が立ち上がり、東京地検、東京国税局、警視庁の三者合同による関係個所の一斉家宅捜索が行われた。
総勢約400人が動員された捜索は、東京・世田谷区等々力の児玉邸、丸紅本社など30カ所近くに及び、史上最大規模の強制捜査となった。

児玉邸では10時間以上にわたって家宅捜索が続けられた。児玉がいる病床では、特捜部の松田昇(15期)検事と医師の立ち合いのもとで、慎重に捜索が行われた。

「三者合同の強制捜査は異例だった。事前に警視庁から児玉を一緒にやらせてくれと相談があったが、国税庁との関係もあり断った。
警視庁には丸紅を手伝ってもらうことになったが、案の定、事前にマスコミに情報が漏れたため、抗議した」(当時の検察幹部)

合同捜査のデメリットは、「秘密保持」が難しいことである。
国会議員の中には警察OBもいるため、検察は「警察から政治家に情報が漏れる」ことに常に神経を尖らせていた。これは時代を問わずついて回る。

“政財界のフィクサー”“昭和の怪物”児玉誉士夫