「カミソリ」堀田と「特捜の鬼」吉永

堀田力(13期)と上司の吉永祐介(7期)は、司法修習で6期の差があるが、実際の年齢差はわずか2歳。堀田は1934年4月生まれ、吉永は1932年2月生まれである。
実はある出来事がきっかけで、2人には一時「微妙な時期」があったと、堀田はのちに筆者に語っている。

「32歳か33歳くらいだったと思いますが、私が大阪地検特捜部にいたとき、3か月間ニューヨークの検察で汚職捜査の研修を受けることになりました。
ところが、派遣される直前に、東京地検から『やはり大阪より東京から人を出すべきだ』という声が上がり、急遽試験を受けることになったんです。
その試験で、東京地検特捜部から受験したのが吉永さんだったらしいのですが、結果的に吉永さんが落ち、田舎の大阪地検特捜部にいた私が選ばれたことが、それが、あまり面白くなかったと聞きました」(堀田)

一度は東京地検特捜部で働きたいと希望していた堀田だが、まずは大阪で成果を出したかった。NYでの研修を終え、帰りの機内で新聞を読んでいると、ある記事が目に留まった。

「大阪のタクシー業界がLPG(液化石油ガス)課税法案に猛烈に反対している」

堀田はその記事に「事件の匂い」を嗅ぎ取った。
翌日から膨大な伝票や銀行口座を徹底的に調べ上げ、タクシー業者の業務上横領を立件。これが、「大阪タクシー汚職事件」の摘発へとつながった。この捜査の中で、タクシー業界と政治家の癒着が浮かび上がったのだ。
運輸族の関谷勝利議員は、法案を修正するよう別の国会議員に働きかけた見返りに、大阪タクシー協会幹部からワイロを受け取った収賄罪で逮捕・起訴された。

「実は、捜査が進む中で、私は法務省刑事局に異動となりました。そこで、関谷議員らを国会会期中に逮捕するための『逮捕許諾請求』を初めて担当することになったんです」
(堀田)

国会議員には国会会期中に逮捕されない「不逮捕特権」が認められている。
そのため、議員を逮捕するには、国会から許可を得る必要がある。
この手続きは堀田にとって初めての政界捜査となり、特捜部への大きな一歩となった。

元東京地検特捜部検事 ロッキード事件捜査班 堀田力弁護士(13期)

時は移り、昭和から平成へと変わった1994年。筆者と堀田が巡り合ったのは、政治家へのヤミ献金をめぐる大型スキャンダルの「ゼネコン汚職事件」だった。

この事件で、東京地検特捜部は中村喜四郎元建設大臣をあっせん収賄罪で立件。
特捜部は、堀田が27年前に手掛けた関谷勝利議員以来となる、国会会期中の「逮捕許諾請求」に踏み切るという決断を下した。

当時、堀田はTBSの「報道特別番組」に出演し、スタジオ解説を担当していた。
普段はソフトな語り口で知られる堀田だったが、この日は特別だった。
27年前、関谷議員の捜査を熟知している元検事として、そのコメントには、いつにも増して力強さがあった。

一方、筆者は司法記者として東京地検前から特捜部の動きを逐一、スタジオの堀田と杉尾キャスターに、生中継で伝える役割を担っていた。
緊迫する状況下で、特捜部の捜査は刻一刻と進展していた。

堀田は筆者のリポートを受けて、静かに確信をもってこう締めくくった。

「国会会期中に議員を逮捕することは、検察当局としては、できれば避けたいというのが本音です。というのも、国会から逮捕許可を得るには、あらかじめ事件の証拠を国会に開示しないといけないからです。そうなると、国会側が主導権、ボールを握っているため、『これを出せ』『あれを見せろ』と次々に証拠開示を要求してきます。
ですが、詳しい証拠を出しすぎると、証拠隠滅の恐れもあり、捜査に支障をきたす可能性があり、非常に苦しい交渉を迫られます。
「他にどこへ金が流れているのか」など党利党略、私利私欲に基づき、様々な証拠を不当に求めてくる議員もいます。
法務・検察当局としては、国会への説明対応だけで多大な労力を費やし、疲労困憊してしまうのです。そうした中で、中村元建設大臣の逮捕許諾請求に至ったのは、現場の検察官たちが本当に頑張った結果だと思います

国会議員の摘発が続いた平成の時代、堀田は取材や番組を通じて「政治とカネ」について常にこう訴えていた。

「政治とカネの不正行為を検察がすべて解明するのは不可能です。やはり、政治資金規正法で抜け道をなくし、お金の動きを透明化し、国民に見えるようにすることが大事です。
またアメリカでは個人が大統領選挙に5ドルとか10ドルとかを献金しますが、日本では個人がほとんど献金しません。
個人が支援したい人にお金を出し、政治をやってもらうことが理想だと思います」(堀田)

自民党の裏金問題が続く中、そのコメントは令和の現在でも色褪せていないのが、皮肉なものだ。

TBS報道特別番組で解説する堀田力弁護士(1994年3月8日)