ロッキード社側が「嘱託尋問」を拒否
法務省刑事局の参事官だった堀田は、希望が叶い、4月から正式に東京地検特捜部に異動。
そして、4月29日から2度目の渡米を命じられた。米国で捜査権のない日本の検察官に代わって、司法省にロッキード幹部を取り調べてもらう「嘱託尋問」を取り付けるためだった。
米国司法省、SEC(証券取引委員会)の関係者と打ち合わせを繰り返した。
この間、日本にいる主任検事の吉永と連絡を頻繁に取り合った。
司法省のクラーク検事から情報提供されたSECの英文資料を読み込み、節目節目で国際電話で報告した。
米司法省は、国外犯を米国で処罰することはできない。一方で、クラーク検事らは「不正義がまかり通るのは許せない」との正義感から、堀田への協力を惜しまなかった。
吉永は、堀田からの報告を聞きながらコーチャン副会長、クラッター日本支社長らに対する「嘱託尋問調書」の質問事項を練っていた。
5月14日、堀田は「SEC」での「コーチャン証言速記録」などの新しい資料を持っていったん帰国した。
堀田が持ち帰ったSECの資料には、コーチャンのさらに詳しい証言内容が含まれていた。
【コーチャン証言より】
・1972年8月20日頃、トライスター売り込みの最後の仕上げに来日した。
・その際に金額のことを持ち掛けてきたのは、丸紅の大久保専務らである。大久保からトライスターの売り込みのためには「5億円」必要であると言われた。
・ロッキード社の日本支社は「丸紅」に「5億円」を「4回」に分けて支払った。
そのときの領収書が丸紅・伊藤専務がサインした「ピーナッツ」「ピーシーズ」である。

その一方で、堀田は「嘱託尋問」に関して問題が生じていることを吉永に報告した。
「実はコーチャンらが「嘱託尋問」に応じるための条件として「罪を問わないこと」を保証してほしいと言っています。身の安全がはっきり保証されない限り、証言はできないと。
検事総長から「絶対に起訴しない」「罪を見逃す」という“不起訴宣明書”をもらうことは可能でしょうか」(堀田)
これは、コーチャン副会長らがどんな証言をしても、日本の法律では裁かないことを検察トップに保証してもらいたい、という要求だった。
つまり、日本の捜査当局がロッキード社幹部の「刑事責任を問わないこと」「罪を見逃すこと」を文書で確約しろということだ。
当時、日本では司法取引の一種にあたる「刑事免責」は認められていなかった。
時効まで残り3か月という状況下で、検察は厳しい判断を迫られた。
「嘱託尋問」を開始しなければ、コーチャンらの証言を引き出し、その「供述調書」を受け取ることができない。堀田は吉永を説得し、その結果、フセケンこと布施検事総長は5月20日、ロッキード社側の要望に応じ「不起訴宣明」を出すことを決めた。
「コーチャンらが証言した事項については、たとえそれが罪となる場合でも起訴しない。この決定は後任者にも拘束力を持つ」(布施検事総長の不起訴宣明)
休む間もなく堀田は5月26日、東条伸一郎検事(17期)と2人でアメリカに乗り込んだ。コーチャン副会長らの取り調べ、いよいよ嘱託尋問の手続きに入るためだ。
これが3回目の極秘渡米だった。
