■世界で最も古いマーズ・バー


マイケルさん本人についてもう少し知りたいと思い、ジョンさんに尋ねてみました。どんな若者だったのか、と。

弟を殺された ジョン・ケリーさん:
「マイケルは一番若い弟でした。当時17歳で。病院に着いた時、医師にマイケルが何歳か聞かれて「16」と答えたの覚えています。17になったばかりだったのを忘れていました。犠牲者の中では最年少です。犠牲者のうち6人は17歳でした。

私にとってマイケルは何よりも「弟」でした。いい奴でね。



ウチの母はちょっと彼には過保護気味でした。理由の1つはマイケルが3歳のとき、感染症にかかり脳炎を起こして死にかけたことでしょう。3週間昏睡状態でした。でも生き延びた。

医者は「助からないだろう」と言いましたし、司祭も「もう諦めなさい」と言いましたが、母は拒否しました。そしてマイケルは昏睡状態を脱し、生き延びたんです。

血の日曜日の当日、マイケルは母にデモに行ってもいいか聞いたんです。敬意ですね。母はちょっと心配して、最初はダメだと言っていました。でも、本人や私も含む兄弟姉妹の説得で最終的にはOKが出ました。

マイケルはわくわくしていました。彼にとって最初のデモでしたからね」

ーーマイケルさんは政治活動していた?

「いいえ、全く。政治活動には全く興味がありませんでした。デモに行きたがった理由も『友達が行くから』でした。行ってみたかったんでしょうし、ちょっと騒ぎたかったわけです。

マイケルはミシン機械工の見習いでした。新しい仕事を始めたばかりで人生これからという時でした。彼女もいました。甘いお菓子が好きでね。

私はマーズ・バー(チョコレート菓子)を1つ持っています。50年前のものです。母は日曜日の夜、いつもマイケルにチョコレートを買ってあげていました。週明けに働きに出る彼のために。

でもその日のマーズ・バーを食べることはありませんでした。

代わりに私が持っているんです。今はベルファストのアルスター博物館にありますけどね。世界で最も古いマーズ・バーでしょう」

■「街は永遠に変わってしまった」


ーー血の日曜日がこのコミュニティ、街にもたらした影響は

「荒廃です。なぜならあの日に起きたことは、この街の歴史の中でも最悪の出来事だったからです。そして街は永遠に変わってしまった。街全体が沈黙したかのようで、人々は小声で話すようになりました。大きな衝撃を受け、震え上がって。



こう言われています。「血の日曜日」は北アイルランド紛争を激化させたのだ、と。

統計によれば1972年だけで500人以上が犠牲になりました。これは『血の日曜日事件』の影響です。つまり影響はデリーだけでなく、北アイルランド全体に及んだのです。

私に言わせればあの日、殺りくに及んだ兵士たちは『血の日曜日事件』だけでなく、その後に起きた多くの人命の損失、全ての側の損失に対して責任があります。あの日のことがなければ今も生きていたはずの人が何百人もいます」