届いた父の遺書見て「これで繋がるんかなあと思ったら...侘しい」

父について話すことすら憚られた少年時代。訃報から5年が過ぎたころ、日本兵の遺骨収集事業の一環で脩さんのもとに父の遺品が届きました。箱から出てきたのは、恒男さんの遺髪と家族に宛てた8通の遺書でした。便箋が足りなかったのか地図の裏に書き留めたものもありました。

「父上様、ご心配をおかけいたしました。私は泰緬鉄道の件で戦犯になりました。皆公務、仕事です。日本軍人として命令で致したことが不幸になったのです。貯金通帳番号は13881です。千円程あります。子ども二人をお願いいたします」【寺越恒男さんの遺書】

長男の脩さんに向けては次のような記載がありました。

「脩君、父は不孝者であった。祖母様の看病もできなかった。私は国のために散ります。何事も運命です。悪いことは露ほども思ったことはない、只々公務のため命令より衛生曹長としての任務に服したのです」
「脩さんは姉さんに負けないように勉強する。一生懸命に働いて祖先の供養をしてくれ。小生は国のため元気よく散る。生命に少しの未練もなかった」【寺越恒男さんの遺書】

「どの文章を見ても僕たちのことをお願いしますと。死刑執行されることがわかって、二人の子どもを残してほんとうにつらかったと思うねん。これを書くにあたってな。これで親父と繋がるんかなあと思ったら...なんか侘しいなあ」