「戦犯」で処刑された父...「表立って言わんように」封印された父の存在
敗戦後、連合国から戦争責任を追及された日本。東條英機ら指導者層が「A級戦犯」として裁かれた一方で、900人以上が捕虜への虐待などを行った「BC級戦犯」として死刑になりました。
チャンギ刑務所にいた恒男さんもまた、虐待の罪で絞首刑になったのです。37歳でした。
恒男さんが処刑されたという知らせが届いたのは脩さんが5歳のころ。母も家を出ていき、親戚に引きとられて幼少時代を過ごしました。当時、終戦直後で食べ物が少なかったことから、家では「何もしないのによく食べるな」と小言のように言われ、おかわりすらできない日々。学校の授業代も自ら働いて賄っていて、脩さんは何度も「親父がいてくれたら」と思ったといいます。
親族からは固く、父親の存在について話すことを禁じられていました。
「『お前の父は戦争犯罪人になった、死刑になった』と。『そういうことは表立って言わんように』と。言ったら差別されるからと」