【捕虜収容所近くに居住 石塚洋子さん】「収容所で働いていた人が捕虜を虐待した。戦後、捕虜を虐待したという罪で、死刑が出たんですよ」
終戦後の軍事裁判によって捕虜収容所で警備などを担当した8人の職員が捕虜虐待罪に問われ処刑されました。死刑になった職員の中には、元々は軍と全く関係のない農家や桶職人などをしていた人もいました。

石塚さんは、当時収容所で何があったか記録しようと職員の遺族とも交流していました。
【捕虜収容所近くに居住 石塚洋子さん】「悔しい思いして亡くなったと思います。自分では正しいという指導の下に行ったことが後で虐待したんだって、向こうから責められて罪になったりとかそういう人もいましたし」
捕虜虐待などの罪を問われ、連合国各国の軍事法廷で裁かれたB・C級戦犯は合わせて920人が処刑されました。平和記念公園展示館には裁判で死刑となった職員の遺書の写しも展示されています。中には、無実を訴えるものもありました。

「私は殺人をしてはおらぬことをここに断言できる。又捕虜は病気で死んだ。又叩いたため負傷したことも絶対にないのである。では私は殺される理由がないことになる。弱肉強食という言葉がある故、これも因縁で止む得ない。一切この世に誠はない」
これは死刑が決まった職員の親族が刑の減刑を求めてGHQ司令官のマッカーサーに宛てて送った嘆願書です。