「連合軍最高司令部マッカーサー司令官閣下。横浜軍事裁判で絞首刑の判決を受けた元直江津第四分所勤務元陸軍軍属の母です。昭和18年8月で第四分所をやめたにも拘わらず昭和19年に勤務をしたとして罪を負わせ、また弁護士の言い分を少しも聞き入れてなく不平裁判でありますがどうか私たちの信頼するマッカーサー司令閣下の許で今一度再審査をして頂き減刑されんことを切にお願い致します」

【捕虜収容所近くに居住 石塚洋子さん】「その当時は国の方針に従ってなければ、自分も罪人になるような感じだから。戦時中の日本は怖かったんですよ。忠義でなければ駄目だっていうふうに言われて」

死刑が執行されると、家族のもとに法務省から刑の執行を知らせる手紙が送られたそうです。

【捕虜収容所近くに居住 石塚洋子さん】「なんていうかな、みんな一生懸命やったことが全部裏目に出て、そういう犯罪にも繋がるっていう、そんな変な時代でしたね。だからね、つらい方がいっぱいいました。自分で始めたわけじゃないけど、戦争なんてするもんじゃないと思ったね」

直江津捕虜収容所で亡くなったオーストラリア兵と死刑となった日本人職員を慰霊する「平和の集い」が行われ、参列者は鎮魂の祈りを捧げました。上越日豪協会の関会長は1942年生まれ。直江津捕虜収容所については生まれて間もないため記憶がありませんが戦争の悲劇を風化させまいと、語り継ぐ活動を続けていきます。

【上越日豪協会 関勝会長】「この場所は悲劇が起こりましたけども、悲劇は歴史の中の一部ですから悲劇は悲劇として伝えなければ忘れ去られてしまいますんで、悲劇をつたえてもらい、それを今後に生かして次の世代に伝えていきたいなと思います」

二度と悲劇を起こさない…。悲劇が生まれた直江津の地では終戦から77年たった今も平和への思いを繋げています。