ウクライナで築いた幸せな家庭 そして突然の妻子の死と侵攻

過酷な幼少期を送った降籏さんだが、転機となる大きな出会いがあった。高校卒業後、製紙工場で働きながら猛勉強の末、レニングラード(現サンクトペテルブルク)の工科大学への奨学金付きの進学が認められた。そこで出会ったのが後の妻となるリュドミラさんである。
「彼女は美人で、控えめながら芯が強い女性でした。52年間の結婚生活で1度も喧嘩したことはありません。お互いに理解し、尊重し合って生きてきました」
1966年に学生結婚をして、2年後、一人息子のビクトルさんが生まれた。
降籏さんはリュドミラさんの故郷であるウクライナに移住。工場勤務などを続けながら50年近くジトーミルで暮らし、引退後は夫婦で野菜作りなどを楽しんだ。2人の孫、ひ孫にも恵まれ、自身が築いた家族の幸せを噛みしめていた。

しかし2019年にリュドミラさんが心筋梗塞で急逝し、21年には若年性アルツハイマーと診断され体調を崩していたビクトルさんも亡くなった。
悲しみの底に沈む降籏さんに、さらなる試練が襲い掛かった。22年2月24日にロシアがウクライナに侵攻したのである。
「家族を守れるのは自分しかいない」。心臓に持病を抱えていた降籏さんだが、孫娘ら3人を避難させるため、ウクライナを出国してポーランドに入国した。在ワルシャワ日本大使館で数日間にわたって交渉を続けてパスポートに代わる書類を取得。3月18日の直行便で日本に向かって飛び立った。