■祖父の正さんは中国残留孤児だった
祖父が仙台村にいた千葉隆司さん:
「なんでお父さんは、おじいさんおばあさんと話すときに中国語使うんだろうというのがきっかけにあって、そのなんでだろうを突き詰めていった結果、その先にあったのが仙台村だった」

千葉さんの祖父・正さん。
仙台村で終戦をむかえた後、帰国できないまま「残留孤児」に。

仙台市に戻ったのは、1980年代はじめ。日本語を忘れ、ほとんど話せなくなっていたのです。

千葉隆司さん:
「自分が中国(満州)にルーツにある人間と知って、自分でもやもやしたところもあるし、自分は何なんだろうと思春期もあって不安定になった。できるだけ自分の中の中国の要素は遠くにおこうとしていた」
