■届いた1通の手紙 101歳が語る「飛燕」を巡る物語

武さんの取り組みを応援する1通の手紙が届きました。夫が戦時中、飛燕の製造に関わっていたという人からです。岡山市北区に住む101歳の難波益子さんです。

(難波益子さん)
「飛燕はB29に食い下がっていく日本の飛行機だった」

(孫の暁美さん)
「おじいちゃんが機体を作っていたの?」

(難波益子さん)
「そうじゃ」

32年前に亡くなった夫の喜平さん。

戦時中は兵庫県にあった川崎航空機の工場で、技師として飛燕の胴体の製作に携わっていたといいます。

(難波益子さん)
「それこそ秘密だから(仕事の内容は)言わなかった。戦争に使われた道具だということは知っておかないといけない。今の日本の平和があるのはこのためだもんな」

喜平さんは戦闘機という軍事機密に関わっていたため、仕事について話すことはほとんどなかったそうですが、夫婦の思い出として戦闘機にまつわる歌がありました。

(歌)
「日本男児が精こめて/作つて育てたわが愛機/空の護りは引受けた/来るなら来てみろ赤とんぼ(敵機)/ブンブン荒鷲ブンと飛ぶぞ」

(長女の澄子さん)
「(復元が)でき上がったら、こういう歌もあったと武さんに教えてあげれば」

(孫の暁美さん)
「長生きして、飛燕が完成したらぜひおばあちゃんに」

(灘波益子さん)
「それまで元気でおるよ」