■77年の時を経て「戦争を伝える翼」が蘇る


戦後77年を経て「戦争を伝える翼」が蘇ろうとしています。倉敷市の男性が、旧日本軍の戦闘機「飛燕」の復元に取り組んでいます。貴重な産業遺産として、そして戦争を知らない世代には「平和ついて考えるきっかけにしてほしい」という願いを込めたプロジェクトです。

(日本立体 齊藤裕行社長)
「本物なんです。操縦桿です」

80年近くの時を経て、その姿が蘇ろうとしています。

(ドレミコレクション 武浩社長)
「戦争の理不尽さとかその矛盾とか、飛燕をきっかけにずっと伝えていってほしいと思います」

(難波益子さん)
「飛燕はB29に食い下がっていく日本の飛行機だった」

(孫の暁美さん)「おじいちゃんが機体を作っていたの?」
(難波益子さん)「そうじゃ」

■「飛燕」…特攻機として多くの若者が命を落とした

太平洋戦争中、旧日本陸軍の主力戦闘機だった「飛燕」。細身のデザインで高速性能に優れていたと言われています。川崎重工の前身の川崎航空機で約3000機がつくられ、南方戦線や本土の防衛などに充てられました。

戦争末期には特攻機としても使われ、多くの若者が命を落としました。

倉敷市に、その飛燕の復元に取り組む男性がいます。オートバイの部品の製造・販売などを行う会社を経営する武浩さん。きっかけは意外なものでした。

(ドレミコレクション 武浩社長)
「何を思ったか、ぽちっと押してしまったんですよ」

■インターネットオークションで1500万円 入札した武さん

インターネットオークションです。ニューギニア島のジャングルで発見された機体が1500万円で出品されているのを見つけ、思わず入札ボタンを押してしまったと言います。

日本に戻ってきた飛燕は今、倉庫で眠っています。現地に不時着した機体と見られ、プロペラは大きく曲がり、胴体や翼はいくつものパーツに分かれてしまっています。

(ドレミコレクション 武浩社長)
「これは弾痕ですね。撃たれたあと。これもですね」

「当初はこの機体を復元するつもりで考えていたのですが、あまりにも時間がかかるのと、近代産業遺産なので、これをさわるというよりも、これからデータをとったもので新品の機体で作り上げて」

この飛燕を、実物大のレプリカで蘇らせようというのです。

周りからの反響にも驚かされ、復元に意義を感じたといいます。

(ドレミコレクション 武浩社長)
「当時、川崎航空機の工場に携わっていた人とかがたくさん来て…」

「『私の青春です』とか『元気をもらった』『本当にありがとう』と、1人2人の話じゃないんです。後付けの話かもしれないですが、現在のお年寄りに見ていただいて元気になってもらおうというのが一番なものですから」