ハセン:「最初の3日は水ももらえなかったのですか?」

ニカライさん:
「そうです。私は出血で死ぬと思っていました。大量出血でずっと喉が渇いていました。冷たい鉄の板に息を吐いて、結露を作って、少しでも水分をとるためになめていました」

加えて、1日に何度も厳しい尋問が繰り返されたと言う。

ロシア軍は、ニカライさんから、銃火器の置き場や司令部の場所などの機密情報を聞き出そうとした。

それは、耐え難いほどの拷問だった。

ニカライさん:
「目隠しされたまま横たわっているんですが、ときどき尋問に呼び出されます。そこで暴行され、情報を話すように言われます。その後また目隠しされ、手を縛られたまま地下室へ。横になって、ただ殺されるのを待っていました」
「尋問では、ひざまずかされ殴られます。電気による拷問もありました。私の場合は、傷口に指を突っ込まれました。家族も危ないと脅され、自分は処刑されるとも言われました」

ニカライさんの傷

ハセン:「拷問は、暴力によるものがほとんどですか?」

ニカライさん:
「精神的な暴力もありました。仲間と離れ離れにされました。私は『仲間は処刑されたんだ』と思いました。そして私も3回『処刑する』と言われました。目隠しをされ、手を縛られ、ひざまずかされて、こめかみにピストルを突きつけられます。そして実際に撃つんです。頭には当たらないように。毎回命に別れを告げました。母と妻に別れを告げました。恐ろしかった。こめかみにピストルが突き付けられていることを感じて、射撃による熱を感じるんです。顔のすぐそばで発砲されるんです」

ケガの治療もしてもらえなかったというニカライさんだが…。

ニカライさん:
「拘束されて7日目、出血量が多くて尋問中に失神しそうになり、彼らの軍の病院に搬送され、傷から破片をとる手術を受けました」

その後、別の場所に移送されたニカライさん。
そこに、ロシアの国営放送が取材にやってきた。