■「蒜山で毒ガス弾を」手記に残されていた実験の様子
さらに1冊の手記が残されていました。島で毒ガス開発に携わった技師が記したもので、蒜山での実験の様子が書かれています。



(「秘録 大久野島の記」より)
「蒜山バラ演習場まで出張した。中蒜山山頂に向かって吹く西風が理想的であった。1本点火して煙の方向を確認したが好条件であった」
「いつか試験中に風向きが変わり付近の小学校方面に流れ生徒たちが軽度のクサミ臭を感じた事故があったので慎重を期した。」
■蒜山原陸軍演習場 92歳の証言「毒ガスだ、早く帰ろう」




蒜山で毒ガスのようなものを見たという人がいます。92歳の進賀泰彦さん。演習場の近くで父親と草を刈っていた時に異変に気付いたと言います。
(進賀泰彦さん)
「西の山のところに薄青いようなものが、さーっとなって、そしたらおやじが『毒ガスだ、早く帰ろう』って。紫色の、薄い霧のようにすーっと這うようにして流れていった。通知が来ていて大人は知っていたらしい」

どれほどの規模で、どんな実験が行われたのか。戦後、ほとんどの資料が処分されたとみられ、その詳細は今も分かっていません。