福本さんが描いているのは、切明さんが叔父を探して訪れた病院でのこと…。

血だらけの人ややけどをした人などが、焼け残った病院に押し寄せ、「地獄の様相」だったといいます。

切明さんは、幼い子どもにモンペのすそをつかまれ、「お母ちゃんを探して」と頼まれます。しかし、放してほしいという思いから、とっさに「お母さんを探してくる」とうそをついてしまったのです。
被爆者 切明千枝子さん
「あの子がどうしただろうと思ってね。できもしないことを言ってしまった。心の傷というか、申し訳ないという思いが消えない」

次の日、その子どもを探しに戻ると、姿はありませんでした。

基町高校 福本 悠那さん(去年12月)
「なんかもう絵に表すのが申し訳ないと思う。そんな悲惨で悲しい状態をこの1枚の絵で表現しきれるのかというのが不安で。すごく、こっちもつらくなってしまいます」

それでも「全力でできる限り絵に映し出したい」―。その一心でイメージが湧くまで何度も質問しました。

絵を描き始めてからおよそ半年後…。

被爆者 切明千枝子さん(ことし4月)
「わたし、もう言葉もないわ。本当に感動した。ありがとうね。書いてくださって、ありがとう」
その後も絵の披露会の日まで描き直し続けました。そして、先月、被爆者を招いて開かれた披露会…。

被爆者 切明千枝子さん
「とにかくたくさんの人に見ていただいて、戦争の恐ろしさ、平和の大切さ、そんなものを感じとっていただけたら。これから先の平和を維持するためにほんの少しでも役に立てば、うれしいかなと思う」

1枚の絵に表現できるか不安だった福本さんは…。
基町高校 福本 悠那さん
「切明さんの体験されたことに寄り添った作品を作り上げることができたのではないかと少しほっとしてます」
はじめは怖くて、原爆の映像や写真を見ることができなかったという山口さん。切明さんと出会って創作活動を進めるうちに考えが変わったといいます。

基町高校 山口 伶さん
「怖いなだけではなくて、わたしがこの世代に生まれて自分の役割がどうなのかというのを真剣に考えられるようになったと思います」
この絵を「原爆を知らない1人でも多くの人に見てほしい」と話します。

基町高校 山口 伶さん
「じっくり見ていただいて、今も証言者さんに深い傷を負わせているということを感じ取ってもらえたらうれしいです」

高校生が描いた「原爆の絵」は、8月6日から広島国際会議場で展示されています。