広島市の高校生が、被爆者の体験を「絵」にする取り組みを続けています。被爆者が77年間、抱えた心の傷と向き合い、葛藤しながら絵を制作した高校生を追いました。

この夏に完成した2枚の絵…。被爆者の体験をもとに描かれました。

□ つまずいたのは炭化した幼児だった


1枚は、行方が分からない親せきを探して、がれきの中を歩いているときでした。黒い石につまずいたと思って、よく確認すると、それは炭のようになった幼い子どもでした。

少女はどうすることもできず、そっと手を合わせるしかありませんでした。

□ お母ちゃんを探して!


もう1枚は、少女が被爆から1週間後に叔父を探しに病院に行ったときでした。幼い子どもに「お母ちゃんを探して!」ともんぺのすそをつかまれています。

絵の制作にあたったのは、基町高校の山口 伶さんと福本 悠那さん。制作は、去年の10月から始まりました。


92歳の切明千枝子さんは、15歳のとき、爆心地から1.9キロの場所で被爆しました。


被爆者 切明千枝子さん
「心の中でもう何かにつけてこのことが思い出されるの。二度と繰り返してはいけないから、ちゃんと伝えないとなと」

― 大きさって、これくらいでだいじょうぶですか?
「うずくまり方だとか、ほとんど炭みたいになっちゃってたからね。こんなに手や足がはっきりは見えなかったと思うんだけど…」


山口さんが絵を描くうえで1番苦労したのは、炭になった幼い子どもの姿です。


基町高校 山口 伶さん(去年12月)
「うーん、なんか炭になった人っていうのは見ることもないし、切明さんのお話をもとにするしかなくて…」


何枚か描いてみて、当時の光景に近いものを探します。

山口 伶さん(去年12月)
「わたしの作品が切明さんが経験された一瞬を世界中に知らせる、教えるものになると思うので、本当に重い仕事だなと痛感していますし…」

時に涙ぐみながら当時のことを話す切明さんを見て、心に残る深い傷を感じとったといいます。


被爆者 切明千枝子さん
「この子にもお父さんやお母さんがいただろうに。元気なときは、きゃっきゃと遊んでいただろうにと思うと、思い出すたびに涙が出て、つらかったですけどね」

納得のいくまで構図や色味などを考え続けました。


山口 伶さん
「わたしにしか描けない1枚だから、わたしの描ける1枚にしよう…」