水俣病 患者認定の高い壁

公害の原点といわれる水俣病が公式に確認されたのは68年前のことです。
チッソ水俣工場の排水に含まれた“メチル水銀”という毒物に汚染された魚を食べた人が次々と発症しました。

しかし、チッソは自らが原因とは認めず、被害は拡大し続けます。
政府が公害と認定したのは1968年9月。水俣病の発見から実に12年の月日が経っていました。
その後、水俣病の認定を求める患者が急増しましたが、そこに立ちはだかったのが、認定制度です。
国が特定の症状の組み合わせが必要と条件を付けたため、被害者らは“切り捨て”と反発しました。

松崎さんの妻・悦子さんはしびれや耳鳴りなどの症状を訴え、繰り返し申請しましたが、水俣病と認められることなく、去年4月に亡くなりました。

水俣病患者連合 副会長 松崎重光さん
「本人(妻・悦子さん)は悔しかったんじゃなかろうかと思っています」

水俣病と認定されたのは、これまでに3000人。
今も約1400人が水俣病の認定を求め、審査結果を待っています。

松崎さんは謝罪ではなく、悦子さんのように68年経っても、水俣病の症状で苦しんでいる人たちへの救済を求めています。

水俣病患者連合 副会長 松崎重光さん
「頭を下げろとかなんとかそういう言葉は私は使いたくないです。(被害者に対して)いい方向に持っていかなければと考え直してもらえれば切り捨てじゃなくて」