今月(5月)1日、水俣病の患者・被害者団体との懇談の場で、環境省側が持ち時間を過ぎたとして団体側のマイクの音を消し、発言を遮った問題。

今回のような問題は、水俣病の長い歴史の中で繰り返されてきました。

【1977年】患者に対して「知能指数が低い」

「いつまで認定しないのか!一日も早く救ってほしいというのが患者・皆さんの熱意です」

水俣病公式確認から21年が経った1977年。解決の糸口が見えない中、現地を訪れたのは当時の環境庁長官、石原慎太郎(いしはら しんたろう)さんです。

 

胎児性水俣病患者 坂本しのぶさん「(抗議文を)見て下さい、今」

懇談で、胎児性水俣病患者の坂本しのぶさんから抗議文を突きつけられます。坂本さんは無言でその場を立ち去りました。

石原慎太郎 環境庁長官(当時)「話しをしよう」
坂本さん「…」
石原長官(当時)「どうして?」

抗議文を読んだ石原長官は次のような発言をします。

石原環境庁長官(当時)
「今、会った患者さんたちも、かなりIQというか知能指数が低いわけですね。この手紙は非常にしっかりした文章というか、あるタイプの文章に思いますけど、これは彼女たちが書いたのですかね」

患者に対して「知能指数が低い」と発言したのです。この発言について最終的に石原長官は土下座で謝罪しました。