【1975年】「ニセ患者」の発言
この2年前、1975年8月。新聞の見出しには「ニセ患者」の文字が踊りました。

これは熊本県議会議員が環境庁に陳情に訪れた際、県議が「水俣病の申請者の中には補償金目当てのニセ患者が多い」と発言したことを報じたものです。

水俣病の認定申請者たちは名誉を傷つけられたとして県議会議員と県を相手取り訴訟を起こし、熊本地裁は、県に対して謝罪広告の掲載などを命じました。

【2000年】「ブラブラ」「頭がいかれている」差別的用語が150件
問題は2000年に入っても…水俣病の認定審査会に提出された熊本県の行政資料に無職という意味で「ブラブラ」と記載していたことが明らかになったのです。

潮谷義子知事(当時)「これまでの県の対応についてお詫びを申し上げたいと心から思っております」

県が調査した結果、「ブラブラ」の他「ゴロゴロ」「頭がいかれている」など差別的用語が150件もあったことが分かりました。
「ブラブラ」記載に抗議した男性「水俣病は終わった終わったと言われてますけど、本当は被害者だけしか分からない隠れた部分の水俣病の悲劇というのがずっと続いているのは事実」
