「失敗したら家族全員が処刑」命懸けの脱北

2024年3月、映像を撮影した青年にソウルで会うことが出来ました。
30代前半だというキムさんです。
インタビューには、軍や警察関係者も同席しました。警護と監視のためです。
日下部正樹キャスター
「キムさんはソウルに来てどれくらいになりますか?」
脱北者 キムさん(30代)
「2023年5月7日に入国しました」
多くの脱北者が中国やロシアなど、第三国を経由するのに対して、キムさんは海を渡って韓国に入りました。

これが脱北で使った木造船です。
妊娠中の妻と母親、弟家族の総勢9人で、韓国・延坪島(ヨンピョン島)を目指しました。キムさんは、まず脱出の詳細を語り始めました。

キムさん
「ここから出ました。ここに出てきました。ここまで」
日下部キャスター
「普段は船でこのあたりの魚を取ったりしていた?」
キムさん
「そうです。船に乗って海に出るたび、延坪島が目の前に見えるたびに、自分一人でも脱北したいという気持ちに火がつきました。
でも、あとで家族離れ離れの苦しみを抱えたくなかったんです。家族全員を連れていく方法を探しました。その方法を半年間ずっと考えていました」
キムさんが脱北を目指すようになった理由。
それは個人の自由や権利が認められない社会に、絶望したからだった。

キムさん
「こちらでは全く理解できないでしょうけれど、北朝鮮では、家を一歩出たら、すべての物事を100%疑わないと生きていけません。
何も考えずに道を歩いていると、誰かが笛を吹いて、むやみに捕まえて身体検査をして、言いがかりをつけるのです。『どうしてジーンズをはいているんだ。これは朝鮮社会主義式ではない』。『なぜ労働時間に出歩いているんだ』と。なんでも犯罪にでっちあげることができるのです」
コロナ後、政府は国民の管理をさらに強化した。
食料は専売制となり、人々は足りない米などを闇取引で買い求めた。
ある日、キムさんの家に、取り締まり機関の保安員が捜査令状を持ってやってきて、蓄えていた米を運び去ろうとしたという。

キムさん
「『私たちのお金で買った食料ですから持って行かないで。私たちのものです』と主張したら、保安員に『この土地はお前のものか?お前が吸っているこの空気も全部党のものだ』と言われました。これ以上、ここに希望はない。この土地から逃げだそうと、決心しました」
何日も脱北を決行する機会をうかがった。
選んだのは波が高く、月明りがわずかにある曇りの日。台風が近づいていて、警備艇が撤収する可能性が高い。
しかし、それは賭けでもあった。

警備兵に見つかったときに備え、刃渡り50センチの刀を用意。
粉唐辛子と砂を詰めた卵をそれぞれ持って船に乗り込んだ。
万が一のときには、それを投げつけ、目くらましに使う計画だった。
キムさん
「失敗したら家族全員が処刑されるから。藁をも掴む思いでした。神様が見捨てるなら、死ぬだけだと覚悟しました」
海に出て約2時間。

キムさん
「境界線を超えたときには、ほっとしたと同時に、どっと疲れを感じました。ただ、ただ、嬉しかったです」