捕虜を木の丸太になぞらえて「マルタ」と呼び人体実験に…

清水さんら少年兵もいた731部隊の跡地が中国のハルビンにある。731部隊が細菌兵器の実験や研究で使っていた物などが展示されている。

731部隊は、中国人などの捕虜を木の丸太になぞらえて「マルタ」と呼び、人体実験に使った。

跡地に大きくそびえ立つ煙突。この付近でも「マルタ」が殺され焼かれたという。

731部隊の標本室に当時、並べられていたホルマリン容器。清水さんは上官から見せられたという。

清水英男さん
「標本室は本当に目の開けられないくらい(印象が)強かった。ホルマリン漬けで心臓だとか、胃だとか、盲腸だとか、そういったものがみんな別々に(ホルマリン容器に)入っている」

上官から「マルタを解剖したもの」と伝えられたという。

清水英男さん
「(捕虜を)解剖した標本にしたガラス瓶入りの女の人のお腹にいる子どもとか、頭を(縦に)のこぎりで切る。のこぎりで切るなんて、ひどいことをやるなあと思って見てはきました」

清水さんにはこんな経験もあった。仲間3人でいるとき、上官がパンを差し入れてきたのだという。

清水英男さん
「ふかしパンを3つ持ってこられて、上官が持ってきたから食べた。熱が42度3分」

――そのパンを食べたら熱が出たんですか?

清水英男さん
「そう。1週間寝ていた」

――3人いたでしょう?

清水英男さん
「3人食べたけれども、そのうちの(自分の)一つだけ」

清水さんは42度を超える高熱にも関わらず、手当てが施されたのは1週間後だったという。

清水英男さん
「1週間たったらやっと注射を打ってくれた。それまでは脈拍と体温を測っていくだけ」

この1週間でデータをとられ、清水さん自身がなんらかの実験台にされたのではないかと振り返る。

清水英男さん
「だから少年隊員は、1期生から4期生まで、体のいいマルタにするつもりではなかったかなと私は感じている」

14歳の清水さんにはあまりにも強烈な体験だった。しかし、清水さんら731部隊の隊員には帰国してから一切語らぬよう、厳しいかん口令が敷かれていた。

清水英男さん
「(帰国後は)隊員とは交流してはいけない、部隊のやっていたことは言ってはいけない」

――もちろん家族にも?

清水英男さん
「言わなかったです。家内にも言わなかった」

清水さんが731部隊について話し始めたのは数年前。80代になってからだった。

なぜ話し始めたのか。「事実を子どもたちに伝えなければならない」との思いで講演の依頼を受けるようになった。終戦からは、実に70年以上が経っていた。

だが、清水さんのことが報道されると、ネット上では清水さんを中傷する書き込みも。

ネットの書き込み
「このジジイ、嘘ついてやがる。小学校しか出てないガキが『見習い技術員』だ?デタラメもいい加減にしろ」

さらに、731部隊による細菌兵器の製造や人体実験がそもそも嘘だとする書き込みもあった。

これは731部隊の隊員の氏名や本籍地などが記載された名簿だ。淸水さんの名前と生年月日が記されている。

清水英男さん
「まったく何も嘘ついているわけではありません。私は経験してきたことと見てきたこと、やったことだけしか言っておりませんので」