世界で戦争や紛争が起きるたびに私たちが目にするのは、傷付いた戦争弱者としての子どもや若者たちです。一方で、若者たちが戦争に加担させられるケースもあります。先の大戦で、日本の少年兵たちが細菌兵器の開発や実験にかかわっていた事実はあまり知られていません。

731部隊 元少年兵の証言

軍服を身にまとった男性。京都大学医学部出身の軍医で名は石井四郎。

石井が創設し、隊長を務めたのが通称「731部隊」だ。第2次世界大戦下、旧満洲で細菌兵器の製造と使用。そして、人体実験を行っていた。

731部隊研究の第一人者、故・常石敬一氏によれば、2000人とも3000人とも言われる人々が人体実験の犠牲になったという。

最終的に軍医として最高階級の中将となる石井のもとには、名門大学出身の名だたる医師や研究者が集った。

実はこの部隊に、14歳の少年たちも連れて来られ、細菌兵器の製造などに荷担させられたことはあまり知られていない。我々はこのうち1人の男性に話を聞くことができた。男性は長野県の宮田村に暮らしているという。訪ねてみると…

清水英男さん、現在93歳。しっかりした足取りで取材班に自らコーヒーを運んできてくれた。

80年前の記憶も鮮明だ。清水さんの手元に唯一残された731部隊の写真。

清水さんと同じ宮田村など、付近の町から731部隊に招集された人が多くいたという。

清水さんが入隊したのは、終戦4か月半前の1945年3月30日。そのころ、沖縄でも10代の少年たちが「鉄血勤皇隊」として戦地にかり出されるなど、敗色が濃厚になっていた。

そもそも清水さんは、どのような経緯で入隊させられたのか。

清水英男さん
「先生が、私は見習い技術員だということだったから、工作の好きな生徒を推薦したのではないかと思います」

――何の見習い技術員かは?

清水英男さん
「全然、やる仕事のことは一切ノーコメント。何やるかはわからない」

731部隊の本部は、旧満洲、いまの中国のハルビンにあった。これは隊員の証言をもとに作られた731部隊の本部の地図だ。

清水さんの少年兵としての生活は「少年隊舎」で始まった。入隊した日に隊舎の前で集合写真を撮影したという。

その後、連れていかれたのが、講堂の横にある建物の2階、細菌実習室だった。

清水英男さん
「そこ(細菌実習室)で全部(服)脱いで消毒する。それで白衣を着ろと、自分の上(着)を脱いで。これは衛生関係の仕事をやるのかな、そこでやっと気がついたくらい」

少年兵たちは班に分かれ別々の仕事をさせられたが、清水さんにはネズミの肛門に付着した細菌を確認するなど、細菌に関する仕事が割り当てられたという。

清水英男さん
「菌があるかどうか、プラチナの耳かきのようなもので(ネズミの)お尻から液をとって、シャーレに寒天を溶かした培養(液)があるから、入れてふたをして、培養器の中に入れる」